石仏石神を求めて

おもに石仏・石神などの石造物を探訪

庚申塔(弘前市銅屋町・最勝院)(津軽地方の文字庚申塔 #1〜#7)

初めまして。わたしの名前は歯河(はかわ)と申します。一昨年の2021年秋頃から石仏・石神を求めて旅をしている19歳です。

 

今回から、津軽地方や日本各地に分布する石造物(主に民間信仰に関するもの)をブログにしてまとめていきます。石造物は神社仏閣の境内にまとめて建てられていたり、移されたりしている例が多いので、そこのレポを兼ねることがあります。

 

私自身、普段はTwitterhttps://twitter.com/nagatorowo2にて活動しておりますが、ブログという形で文章を書くのは初めてです。そのため、誤字や脱字、読むに堪えない駄文を書き込むことがあるかと思いますが、ご容赦のほどよろしくお願い申し上げます。

 

それでは早速、一発目やっていきましょう。

 

まず最初は弘前市大字銅屋町・金剛山最勝院の庚申塔7基です(探訪日:2022年9月22日)。ちなみに最勝院は天文元年(1532)、弘信上人という僧が堀越城外萩野の地に三宇の伽藍を造営し開基したと伝わります。

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話を戻しまして、ここにある庚申塔7基すべてが境内の聖徳太子堂脇に安置されています。

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1基目。ここの庚申塔の中では最も大きいです。塔身下の基壇も含めると人の背丈以上はあったかと思います。

「萬延元庚申歳五月二十七日(1860) / 種子〈ウン〉」

紀年銘にもありますが、萬延元年(安政七年)は十干十二支の組み合わせの一つである庚申の年で、全国各地で庚申塔が建てられました。

 


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2基目「文政五壬午年四月十六日(1822) / 種子〈ウン〉」

 


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3基目「寛政十戊午天六月二十七日(1798)」

 


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4基目「文化八未年八月十四日(1811) / 種子〈ウン〉」

 


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5基目「寛政九丁巳□七月廿□□(?)(1797)」

この庚申塔は、津軽地方に現存する主銘に「庚申塚」と刻むものの中で最も古いものです。

 


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6基目「寛政十二庚申天六月九日(1800)」

 


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7基目「天保十四癸卯年五月十八日(1843) / 種子〈ウン〉」

 

最勝院・聖徳太子堂の地図

 

 

以上のような形式でまとめていきます!

今後、投稿の形式や内容の諸々を変更する可能性はありますが、その都度報告します!

ここまでお読みいただきありがとうございました!