青森県黒石市京町字寺町の来迎寺(訪問日:2023年9月12日)山門寺号標本堂六地蔵堂。多数の石仏石塔が境内に残されています。歴代住職墓
祖師塔(法然)
刻銘「于旹安政二乙夘龍集七月二十五日(1855) / 當寺廿六世 良穪俊戒拝書 / 大施主 工藤源之助六百五十回御遠忌爲報恩謝徳造營之 / 宗祖圓光大師」
これから紹介する石塔はそれぞれ墓地の南西隅、中央、北西隅、北東隅にあり、順を追って載せていきます。まずは南西隅の百万遍塔から。
刻銘「天保十五甲辰年三月(1844) / 念佛講中 / 百萬遍塔」
中央の廻国供養塔。この塔、実はいかなる資料にも収録されておりません(自分調べ)。津軽地方には回国塔の報告例が少ないですし、インターネット上に載せるのは私が恐らく初めてだと思います。ウキウキしながら計測作業も行いました。
六十六部廻国供養塔
刻銘「享保十九年甲寅四月日(1734) / 黒石前町 施主 大□〜□(以下人名略) / 閇誉妙空信女 寛政二戌天十一月十九日(1790) / 天下和順 日月清明 / 奉納大乗妙典日本回國六十六部成就供養塔 / 阿弥陀三尊種子〈キリーク・サ・サク〉」
北西隅。経典供養塔を中心に据えた墓塔群があります。紹介は経典供養塔のみ。
経典供養塔(一字一石塔)
刻銘「享和二壬戌年八月廿八日(1802) / 従今院得正見也日了居士 行年八十二歳(以下人名(戒名)略) / 奉謹書冩妙経石全部碑」
北東隅。乱雑に集められた無縁仏の中に飢饉供養塔があります。
天明飢饉供養塔
刻銘「十九世良得建之 / 天明三卯年同四辰年餓死群霊之墓 / 種子〈キリーク〉」「二月四日」
寺伝曰く、施主兼建立者の十九世良得は弘前新町の徳蔵寺から来迎寺に移住し、寛政二年まで住職を務めたそうです。
来迎寺の所在地