石仏石神を求めて

おもに石仏・石神などの石造物を探訪

庚申塔と甲子塔(安曇野市穂高・庚申原墓地)

 長野県安曇野市穂高の庚申原墓地(訪問日:2024年3月25日)f:id:nagatorowo2:20240501183015j:image県道432号線沿いに墓地があります。墓地の名を刻んだ標柱には「庚申原墓地」とあり、庚申信仰に因んだネーミングです。f:id:nagatorowo2:20240501183008j:image墓地脇のブランコの近くに木造の堂宇が建っており、そのそばには石塔も見えます。f:id:nagatorowo2:20240501182959j:image堂内には見事な彩色の施された石仏が納められています。f:id:nagatorowo2:20240501183021j:image青面金剛を刻んだ庚申塔です。隙間から覗かせるそのお姿はこちらを睨みつけているようでした。
f:id:nagatorowo2:20240501183005j:image青面金剛庚申塔

刻銘「寛延三年(1750)」f:id:nagatorowo2:20240501183002j:image御尊容(立像、一面六臂、合掌型、舟形光背型)その他像容・彫像(日天月天、瑞雲、宝輪、蛇、宝剣、羂索)f:id:nagatorowo2:20240501183024j:image三猿像
f:id:nagatorowo2:20240501183011j:image堂内に貼られたお札には「穂高庚申 五穀成就 養蚕大富 守護攸」とあります。穂高庚申堂という名称なのでしょうか。


続いて石塔の紹介。f:id:nagatorowo2:20240501183018j:image甲子塔(大黒天塔)
f:id:nagatorowo2:20240501183027j:image刻銘「大正十三甲子年二月甲子日建之(1924) / 道上中 / 大黒天」

自然石型

庚申原墓地の所在地

庚申塔2基と双体道祖神塔(座間市四ツ谷・日枝大神)

神奈川県座間市四ツ谷日枝大神(訪問日:2024年2月9日)f:id:nagatorowo2:20240313013017j:image鳥居の脇に石仏石神が置かれています。
f:id:nagatorowo2:20240313013003j:image青面金剛庚申塔


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刻銘「文政十亥年六月吉日(1827) / 講中 佐藤五右エ門(以下人名略)」f:id:nagatorowo2:20240313013010j:image御尊容(立像、一面六臂、合掌型、笠付角柱型)、その他像容・彫像(三叉戟、矢、宝輪、弓)f:id:nagatorowo2:20240313013007j:image三猿像


f:id:nagatorowo2:20240313013013j:image双体道祖神

刻銘「(銘不詳)」

舟形光背型(?)


f:id:nagatorowo2:20240313012959j:image社殿(本殿)の背後にも庚申塔があります。ただし風化が著しく、塔上部は大きく欠失しています。
f:id:nagatorowo2:20240313013021j:image文字庚申塔

刻銘「(銘不詳)」f:id:nagatorowo2:20240313013025j:image三猿像

板碑型

日枝大神の所在地

庚申塔(稲城市矢野口・威光寺前)

東京都稲城市矢野口の威光寺前(訪問日:2023年12月16日)f:id:nagatorowo2:20240411145738j:image威光寺前の個人宅脇に庚申堂が建っており、中に石仏が納められています。堂宇は平成三十一年に移転修理が行われたようです。
f:id:nagatorowo2:20240411145742j:image青面金剛庚申塔(立像、一面六臂、合掌型、笠付角柱型)

その他像容・彫像(日天月天、瑞雲、三叉戟、矢、宝輪、弓、一邪鬼、三猿?(摩滅))


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刻銘「明和元甲申年十二月造立(1764) / 武州多摩郡矢野口村根方講中

所在地

宮田橋敷石供養塔と高松の庚申塔(練馬区高松2丁目・路傍)

東京都練馬区高松2丁目の路傍(訪問日:2024年2月12日)f:id:nagatorowo2:20240427141736j:image結城歯科医院の駐車場脇の茂みに石仏石塔がブロック塀に護られて置かれています。
そばには解説板もありました。f:id:nagatorowo2:20240427141732j:image

解説板 宮田橋敷石供養塔と高松の庚申塔
 敷石供養塔は文化四年(一八〇七)、清戸道を利用する大勢の人びとが寄進した敷石の完成記念と交通安全を祈願して建立された供養塔です。
 むかし、この付近(元宮田橋)は石神井川沿いの湿地で、野菜や肥料などの運搬に難渋していました。彫られた地名には区内はもちろん、埼玉県の村名もみられます。いかに広範囲にわたる地域の人びとがここを通行し、この時の敷石完成喜んだかをうかがうことができます。
 庚申塔は正徳五年(一七一五)上練馬村高松の人びと二十六人によって造立されたものです。主尊は六臂の青面金剛で、力強く天邪鬼を踏まえ、下には「見ざる・聞かざる・言わざる」の三猿が彫られています。
 庚申信仰平安時代に中国から渡来したといわれ、江戸時代には富貴長命を願い、庶民の間でも盛んになりました。この塔は区内に現存する百余基の庚申塔の中で一番大きいものです。
◯宮田橋敷石供養塔(平成三年度 練馬区登録文化財)
◯高松の庚申塔(平成四年度 練馬区登録文化財
平成二十一年三月
練馬区教育委員会

解説板のQRコードを読み込むと練馬区HP(2024年4月27日閲覧)に飛び、上記のとは若干異なる解説が載っています。

宮田橋敷石供養塔(みやたばししきいしくようとう)と高松の庚申塔

敷石供養塔と高松の庚申塔は、道楽橋北西約100メートルの十字路角かどにあります。
 敷石供養塔は、文化4年(1807年)、近くの清戸道に敷石を並べて交通の便を図ったことを記念して建立されました。練馬の村々だけでなく、保谷、片山・石神・栗原、落合・神山・小山、清戸・野塩・秋津、安松などの地名も彫られており、清戸道沿いに区域をこえた広範な地域の人々がかかわっていたことが分かります。江戸時代における村々の結びつきを示す貴重なものです。昭和44年までは付近の石神井川の細流に架けられていた宮田橋(現在は消滅)際にありました。
 高松の庚申塔は、正徳5年(1715年)、上練馬高松村の人々26人により建立されたもので、高さ180センチメートルもある見事なものです。主尊は青面金剛で力強く天邪鬼を踏まえ、その下には「見ざる・聞かざる・言わざる」の三猿が彫られています。上部には雌雄の鶏や日、月などの飾りつけがあってにぎやかになっており、江戸時代中期の特徴がでています。建立当初は道楽橋際にありました。

 平成3年度区登録
※注釈1:庚申信仰
 中国大陸から伝わったとされる庚申信仰では、庚申の日に寝ると、人の体内にいる三尸虫さんしちゅうが人体を抜けて天帝てんていにその人の悪事を告げると信じられています。庚申の日とは、十干の庚と十二支の申を組み合わせた日にちを表現したもので、60日ごとに巡ってきます。そのため、この日は三尸虫が身体から抜け出さないように、信仰する人たちは一晩中起きていなくてはなりません。江戸時代には、皆が集まって起きていようと講が結ばれました。酒宴などの行事も行われるようになり、庶民の間に信仰が広がりました。講中では、延命招福を祈るとともに、連帯を図るため、庚申塔が造立されました。

 

f:id:nagatorowo2:20240427141744j:imageさらにもう一つ、移転誌碑が置かれています。

移転誌碑
本石塔は、過去には宮田橋際にあり、庚申塚として地元信者によって祀られていた。然し石神井川耕地整理以後、田畑が画一化され、時後道路拡巾用水路の整備等又、都市発展の影響による宅地家屋の急増によって、之れがため移転の已む無きに到り当地に安置す。
有志此れを誌さんがため特に碑を建立、併せて交通安全のため祈願せんとするものである。合掌
昭和四十四年六月吉日
有志建立
奉納者御芳名
大橋秀吉(以下人名略)

 

f:id:nagatorowo2:20240427141728j:image青面金剛庚申塔


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刻銘「正徳五乙未年(1715) / 武刕豊嶋郡上練馬高松村 / 施主廿六人敬白 / 奉供養庚申二世安樂祈所」f:id:nagatorowo2:20240427141740j:image御尊容(立像、一面六臂、合掌型、笠付角柱型)、その他像容・彫像(日天月天、瑞雲、三叉戟、矢、宝輪、弓)f:id:nagatorowo2:20240427141752j:image一邪鬼像、二鶏像、三猿像


f:id:nagatorowo2:20240427141748j:image敷石供養塔

刻銘「文化四龍集丁卯九月(1807) / □□豊嶋郡上練馬高松 / 當所邑役人中 甚五良(以下人名略) 同所世話人 善兵衛(以下人名略) / 天下泰平國土安穏 / 敷石供羪塔」

角柱型

所在地

天明飢饉供養塔(弘前市西茂森1丁目・常源寺)

青森県弘前市西茂森1丁目の常源寺(訪問日:2023年9月1日)f:id:nagatorowo2:20240502154206j:image禅林街の一角にある曹洞宗寺院。津軽八十八ヶ所霊場の第55番礼所です。f:id:nagatorowo2:20240502154212j:image境内墓地の無縁仏の最前列中央に飢饉供養塔が置かれています。
f:id:nagatorowo2:20240502154215j:image天明飢饉供養塔


f:id:nagatorowo2:20240502154834j:image

f:id:nagatorowo2:20240502154837j:image

刻銘「天保四癸巳年三月造立(1833) / 施主竹内榮吉 / 卯辰両歳有縁無縁菩提」


おまけf:id:nagatorowo2:20240502154209j:image墓地入り口にある一石六地蔵塔。現在、私はこのタイプの六地蔵塔の悉皆調査中です。

常源寺の所在地

富山県の庚申塔 #3(黒部市若栗・自福寺)

富山県黒部市若栗の自福寺(訪問日:2024年3月27日)f:id:nagatorowo2:20240423141758j:image県道14号線、敷設中の新道沿いにある曹洞宗寺院です。f:id:nagatorowo2:20240423141809j:image境内墓地の手前には石塔群が置かれています。今回は造立趣旨の明らかな民間信仰塔のみ載せます。
f:id:nagatorowo2:20240423141813j:image文字庚申塔(石造庚申塚塔)

刻銘「明治十七年甲申八月建之(建立?)(1884) / 御庚申塚」

自然石型、その他像容・彫像(日天月天)


f:id:nagatorowo2:20240423141802j:image観音菩薩塔(観世音菩薩塔)

刻銘「明治十年丑夜日(1877) / 願主 榮林百拝 / 観世音菩薩」

自然石型


おまけf:id:nagatorowo2:20240423141805j:image境内にあるお堂の扉を開けると三十三観音の石仏とお地蔵さんや不動明王などがありました。管理が行き届いていて、地元の方々に愛されてあるのが伝わってきます。

自福寺の所在地

庚申塔2基(船橋市西船4丁目・路傍)

千葉県船橋市西船4丁目の路傍(訪問日:2024年3月16日)f:id:nagatorowo2:20240422101725j:image葛飾自治会館のそば、無線電信所道の道標とともに石祠と庚申塔2基が置かれています。本記事では後者のみ載せます。
f:id:nagatorowo2:20240422101721j:image文字庚申塔(併用道標)


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刻銘「寛政十二庚申載十一月吉祥日建之(1800) / 改修平成十四年十月(2002) / 庚申会 / 庚申塔」「是より かまがやみち」f:id:nagatorowo2:20240422101733j:image三猿像、その他像容・彫像(山状角柱型、日天月天、瑞雲)


f:id:nagatorowo2:20240422101717j:image三猿像庚申塔(庚申灯籠(?))

刻銘「(銘不詳)」f:id:nagatorowo2:20240422101729j:image三猿像、その他像容・彫像(灯籠型、日天月天、瑞雲)

所在地