石仏石神を求めて

おもに石仏・石神などの石造物を探訪

青面金剛像庚申塔(三鷹市中原4丁目・路傍)

東京都三鷹市中原4丁目の路傍(訪問日:2023年10月14日)

f:id:nagatorowo2:20231016032400j:image春清寺別院苦楽院の南東、T字路に堂宇があり、庚申塔はその中に祀られています。
f:id:nagatorowo2:20231016032356j:image解説板も設けられていました。

解説板 三鷹市 指定文化財
石造庚申供養塔
 陰陽五行思想では、十干十二支の組み合わせで庚申の日には、庚(かのえ・十干の金の兄)と申(さる・十二支の金気)と二つの金気(ごんき)が重なり天地に充満するため、人の心が冷酷になりやすい、と考えられていました。
 道教の教えでは、人間の体内には生まれた時から三尸虫という三匹の虫が住んでおり、三戸虫は、宿主が死ぬと身体を抜け出して天に帰れることから、庚申の日には、寝ている間に三戸虫がはい出して、閻魔大王に宿主の悪行を報告し、寿命を縮めてくれと頼む、と言われていました。このため、庚申の夜には、三戸虫が出て行かないように、寝ないで夜を明かすという、庚申講の風習が江戸時代に流行していました。
 庚申の日は60日に一度回ってきます(一年に6〜7回)。庚申講を3年続け、18回に達したら、それを記念して庚申塔を建てることが多くありました。
 庚申信仰は、日本では9世紀の文献の記録がありますが、15世紀頃には仏教と結びつき、江戸時代には仏教式の庚申講が広く行われるようになりました。
奉造立所寶塔為庚申供養也 武□玉之□
干時寛文六(1666)年丙午十一月吉日 願主三十三人中仙川村
 この庚申塔三鷹市域で最も古いもので、青面金剛が像として刻まれる初期のものです。
 青面金剛は、道教由来で、庚申講の本尊として祀られることが多い神様です。右手に剣、左手に索を持ち、邪鬼を踏みつけています。三猿のモチーフは、庚申に申の字がついていることから、庚申信仰と結びつき、三戸虫に対して、見ざる、聞かざる、言わざるのメッセージを託しています。
昭和53年5月8日 指定 三鷹市教育委員会

f:id:nagatorowo2:20231016032403j:image堂の前の石塔から、ここの土地および堂宇は昭和三十八年に寄進を受けたものと分かります。
f:id:nagatorowo2:20231016032407j:image青面金剛庚申塔

刻銘「于時寛文六年丙午十一月吉日(1666) / 武州玉之郡 中仙川村 願主三十三人 / 奉造立所寶塔爲庚申供養也」
f:id:nagatorowo2:20231016032415j:image御尊容
f:id:nagatorowo2:20231016032411j:image三猿像

所在地