石仏石神を求めて

おもに石仏・石神などの石造物を探訪

日照田の板碑と馬頭観音塔2基(西津軽郡鰺ヶ沢町日照田町)

青森県西津軽郡鰺ヶ沢町日照田町字吉川(訪問日:2023年9月17日)f:id:nagatorowo2:20231206225609j:image県道190号線沿い、日照田集落の北端に地蔵堂が建っています。その脇に2基の石塔が置かれています。
f:id:nagatorowo2:20231206225541j:imageそばにはこれらについての解説板が設けられています。

解説板 鰺ヶ沢町指定文化財 考古資料
日照田の板碑 昭和五十八年四月二十日指定
地蔵堂の板碑(2基)
一本松の板碑(1基)
 板碑とは、石材を用いた卒塔婆のことで、死者の供養のために建てられた。
右側の板碑は、応安八年(一三七五)の年号があり、大黒天を表す梵字マが刻まれている。左側は年号不明で、梵字キリークは阿弥陀如来を表す。
 この他、旧道沿いの一本松(現在地の北側の山裾)の下にも板碑があり、永徳二年(一三八二)の年号と、阿弥陀如来を表す梵字が刻まれている。
 南北朝時代(一三三六〜一三九二)、この地方に勢力を誇った豪族・安藤氏の関わりがうかがえる資料である。
鰺ヶ沢町教育委員会


f:id:nagatorowo2:20231206225613j:image2基とも丸みを帯びた自然石型の板碑です。
f:id:nagatorowo2:20231206225617j:image応安八年銘板碑(1375)
f:id:nagatorowo2:20231206225621j:image紀年銘不詳板碑


f:id:nagatorowo2:20231206225549j:image地蔵堂の横の細い道を進むと大きな一本松が見えます。
f:id:nagatorowo2:20231206225553j:image一本松のそばには石塔が並んでいます。
f:id:nagatorowo2:20231206225544j:image向かって左から紹介します。
f:id:nagatorowo2:20231206225557j:image永徳二年銘板碑(1382)。先ほどの解説板に記された「一本松の板碑」です。
f:id:nagatorowo2:20231206225601j:image馬頭観音塔(馬像付馬頭観世音塔)①f:id:nagatorowo2:20231206234309j:image刻銘「明治四十四年五月(1911) / 馬頭觀世音」f:id:nagatorowo2:20231206234313j:image馬像


f:id:nagatorowo2:20231206225605j:image馬頭観音塔(馬像塔)②

刻銘「銘不詳」f:id:nagatorowo2:20231206234822j:image馬像

②は資料中に造立趣旨の不明な石塔として載っていますが、上掲の写真の通り、馬像がくっきりと陽刻されているのが見て取れるため馬頭観音塔と判断しました。

そしてこれはあくまで推測ですが、一本松の根元に小石が積み重ねてあったり、供養塔である板碑があったりすることから、ここがいわゆる馬捨て場であったのかもしれません。

地蔵堂の板碑の所在地

一本松の板碑と馬頭観音塔の所在地