石仏石神を求めて

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天明飢饉供養塔(鰺ヶ沢町釣町・個人宅敷地内)(津軽地方の天明飢饉供養塔 #8)

青森県西津軽郡鰺ヶ沢町釣町(訪問日:2022年9月27日)

今回掲載する天明飢饉供養塔は鰺ヶ沢町の指定文化財に登録されています。塔のある個人宅の近傍に鰺ヶ沢町教育委員会設置の解説板がありました。

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解説板 鰺ヶ沢町指定文化財 歴史資料

堀切沢の天明飢饉供養塔

昭和五十八年四月二十日指定

天明三年〜四年(一七八三年〜一七八四年)の大飢饉は悲惨を極めた。冷害による大凶作で、津軽藩では、総人口の三分の一にあたる八万人以上の餓死者を出したとされる。鰺ヶ沢でも多くの死者があり、後年、その供養塔が建てられた。この供養塔は、文化六年(一八〇六年)、鰺ヶ沢の船問屋・吉田源右衛門(三国屋)により建立されたものである。

鰺ヶ沢町教育委員会

 

解説板のある場所から少し坂を上がり、個人の家に続く階段を上がると目当ての飢饉供養塔があります。

が、まずは家主の方に挨拶をし、撮影の許しを得ました。快く承諾くださったこと、この場を借りて感謝申し上げます。

f:id:nagatorowo2:20230616062820j:image塔のそばには、わずかに朽ちている標柱が立っていました。先の解説板の設置される以前にその役割を果たしていたのでしょう。

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標柱側面の文字 史料 供養碑

由緒

吉田源右衛門 文化六年五月六日(三源)建立

天明の飢饉「卯辰両年死亡精霊塔」

 

 

f:id:nagatorowo2:20230616065237j:image刻銘「文化六年五月六日(1809) / 志者吉田源右衛門 / 卯辰两年死亡精霊塔 / 種子〈キリーク〉」

自然石型

 

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塔のそばには「櫻井利元墓」主銘の墓塔があります。こちらは安政二年銘(1855)です。

資料によると、本塔のある近辺は「無常場」と呼ばれていたらしく、古くから死者を弔うための場であったようです。