青森県五所川原市敷島町の路傍(訪問日:2023年9月9日)大字敷島町の路傍、JR五能線の踏切脇にひときわ目立つ石塔が立っています。
背後の建物は地蔵堂で、中には化粧地蔵が祀られています。
百万遍塔(百萬遍塔)
刻銘「皇紀二千六百年記念(1940) / 敷嶋町建之 / 國難克服 悪疫退散 / 百萬遍 / 敷嶋町沿革 當町ハ元平田廣袤大凡四町歩餘ニシテ佐々木嘉太郎平山文三郎澤田長助諸氏ノ所有スル所ナリシカ町ノ進展ニ伴ヒ新タニ道路開鑿セラレ人家櫛比スルニ及ビ大正十二年十一月敷嶋町ト命名セラル現在戸数九十人口四百五十ヲ数フ」
背面に刻まれた敷島町沿革は『五所川原市の地名』に平易な文で記されており、引用すると、
この町は、もともと一面田圃で、東西南北、およそ四〇〇〇m²である。佐々木嘉太郎・平山文三郎・澤田長助諸氏の所有する所であったが、町の進展に伴って、新たに道路を開削した。やがて人家が密集するところとなり、大正一二年一一月敷島町と命名した。現在戸数九〇軒、人口四五〇人である。
とあります。
また、同書は「敷島」の由来についても言及しており、
そもそも敷島とは、「敷島の大和心を人問わば朝日に匂う山桜花」(本居宣長)と詠まれたように、本来「大和の国」の別名です。おそらく一面田圃であった風景を海に見立て、新たにできた道に沿ってぎっしりと家が並んでゆく様を大和(日本列島)に重ねて、敷島と名付けた、と。
と考察を交えて記してあります。
今回は時間もあったため法量の計測も行ったところ、高215(台石含む)、幅95、厚25(cm。値は計測で得られた最大のものを記載)もあり、私が行っている調査の中では、現時点で津軽地方最大の百万遍塔となっています。
さらに特定の地名の由来を刻むのも大変珍しいですが、「國難克服」や「悪疫退散」などの祈願文を正面に併記している百万遍塔も、津軽においては数少ない例であるので非常に興味深いです。
所在地