石仏石神を求めて

おもに石仏・石神などの石造物を探訪

庚申塔群と美女石(足柄下郡湯河原町福浦・子之神社)

神奈川県足柄下郡湯河原町福浦の子之神社(訪問日:2023年10月28日)f:id:nagatorowo2:20231208010130j:image福浦漁港のほど近く、醍醐院のとなりに鎮座しています。
f:id:nagatorowo2:20231208010145j:image石段を上ると右手に解説板の設けられているのが見えます。
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解説板 祈りの石 美女石
 今をさかのぼる二千年の昔、古代人が、夜空に瞬く、満天の星をいわい祀りし磐座(いわくら)と云われ、その表面には、オリオン座、北斗七星等を表したと思われる、数々の盃状の穴が穿たれています。また聖なる女陰を表した霊石とも云われ、子授かりを願う夫婦が、そろって本社・子之神社にて祈願祈禱を受けた後、夫がこの石をまたげば、すこやかなる子を授かると云われております。別の古くからの伝説によれば、奈良朝の昔、防人(さきもり)として旅立った夫を待ち続けた妻が、悲しみのあまり、石に変わり果てた、その石とも云います。
草陰の 荒藺の崎の 笠嶋の
見つつか君が 山路越ゆらむ
萬葉集 東歌 詠み人知らず)
戀しとて もゆる想ひは みやしろの
み庭をまもる 石となりけり
(穂積天佑)
平成貳拾戊子年極月吉祥日
奉寄進 内野博之


f:id:nagatorowo2:20231208010152j:imageこれがその美女石と思われます。一応、由来に従えば分類としては女陰石になるのでしょうか。
f:id:nagatorowo2:20231208010134j:image社殿へ踵を返します。社殿は茅葺きです。
f:id:nagatorowo2:20231208010137j:image手水舎の背後に伊豆型道祖神塔や石祠、石塔のまとめ置かれたエリアがあります。
f:id:nagatorowo2:20231208010141j:image石塔は庚申塔でした。向かって右から紹介します。
f:id:nagatorowo2:20231208010116j:image文字庚申塔

刻銘「文化八辛未閏二月(1811) / 講中建焉 / 庚申塔


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刻銘「萬延元年五月廿七日(1860) / 講中 / 庚申塔


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刻銘「享保十四己酉五月吉日(1729) / 福浦邑講中 / 庚申供養塔」


f:id:nagatorowo2:20231208010127j:image文字庚申塔(石造除魔庚申塚)④

刻銘「大正九年庚申歳(建共)(1920) / 爲願望成就 故 髙橋正吉 子 笠原律子 子 前田サト / 昭和五十五年庚申歳十月吉祥日建之(1980) / 爲諸願成満念 施主 髙橋義雄 / 菅井三男石材刻之 / 除魔庚申塚」

子之神社の所在地