石仏石神を求めて

おもに石仏・石神などの石造物を探訪

庚申塔と磨墨塚碑ほか(大田区南馬込3丁目・磨墨塚)

東京都大田区南馬込3丁目の磨墨塚(訪問日:2023年11月11日)f:id:nagatorowo2:20231208125623j:image磨墨塚。するすみづかと読みます。
f:id:nagatorowo2:20231208125627j:image由来を記した解説板も設けられています。

解説板 磨墨塚の由来
「磨墨」は、源頼朝の家臣であった梶原景季鎌倉時代の武将)の愛馬であり、平家物語で有名な宇治川の合戦で、佐々木高綱の乗った「池月」と先陣を争った名馬です。その景季の愛馬「磨墨」をこの場所に埋めたとの言い伝えがあり、明治三十三年(一九〇〇)八月に、馬込村の有志により、石碑が建立されました。
馬込は、鎌倉時代梶原景時(景季の父)の領地であったとの説があり、近くの古刹萬福寺には、景時の墓とされる墓石や「磨墨」の銅像があります。また、周辺には、「磨墨」が落命したという「駒落の谷」や「磨墨」が鎧を落としたという「鐙谷」に由来する「鐙坂」などの地名が残っています。
萬福寺


f:id:nagatorowo2:20231208125631j:image塚上には3基の石造物が並んでいます。向かって右から紹介します。
f:id:nagatorowo2:20231208125619j:image青面金剛庚申塔(一面六臂)

刻銘「享保五庚子歳十一月吉日(1720) / 武藏馬込邑平張谷 / 奉供養庚申 / 平林六兵衛(以下人名略) 同人敬白 / 種子〈ウーン〉」


f:id:nagatorowo2:20231208125609j:image磨墨塚碑。この下に名馬「磨墨」が埋まっていると伝わります。f:id:nagatorowo2:20231208125615j:image明治三十三年建立(1900)

f:id:nagatorowo2:20231208132221j:image大正二年?建立(1913?)の歌碑?道標っぽくも見えます。

磨墨塚の所在地