石仏石神を求めて

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伝・天明飢饉供養塔(弘前市一町田・公民館前)(津軽地方の天明飢饉供養塔 #41)

青森県弘前市一町田字村元の一町田公民館(訪問日:2023年9月10日)f:id:nagatorowo2:20240306115603j:image大字一町田の公民館前に2基の石塔が並んでいます。向かって右側が天明大飢饉の供養塔とされるものです。
f:id:nagatorowo2:20240306115607j:image天明飢饉供養塔

刻銘「戊文化五歳辰二月廿五日(1808) / 一丁田 深山 二本木 村中 / 南無阿弥陀佛 / 〈円相〉」f:id:nagatorowo2:20240306115611j:image蓮華像。弘前市内、旧岩木町から旧相馬村にかけて現存する飢饉供養塔と同じ意匠です。円相の併刻といったところも似通っています。

銘文に「卯辰」銘や「餓死・飢渇」銘がないため、これが天明の飢饉供養塔であると断じることは難しく、完全に口碑による推定のものです。

しかし、となりの三界万霊塔とセットで置かれている点や塔身に蓮華と円相を刻んでいる点、そして近傍の飢饉供養塔の分布域などを鑑みるに、この石塔が飢饉による疫死、飢渇で亡くなった人々の供養のため建てられたものという可能性は高いと言えるでしょう。


f:id:nagatorowo2:20240306115615j:image三界万霊塔

刻銘「天保十一子年五月二日(1840) / 正誉遏觀妙善大姉(以下戒名略) / 南無阿弥陀佛 三界萬□〜□」

並び的にこれも飢饉供養塔かもしれませんが、資料には特に言及が無かったため死者を弔うための至って普遍的な三界万霊塔でしょう。

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