石仏石神を求めて

おもに石仏・石神などの石造物を探訪

庚申塔と力石群ほか(千代田区神田須田町2丁目・柳森神社)

東京都千代田区神田須田町2丁目の柳森神社(訪問日:2024年2月17日)f:id:nagatorowo2:20240320185903j:image神田川の南岸、柳原通り沿いに鎮座する神社です。f:id:nagatorowo2:20240320185930j:image社殿と神楽殿(神輿殿?)の間の通路を進むと社務所に着きます。f:id:nagatorowo2:20240320185915j:image社務所前の茂みに庚申塔がひっそりと置かれています。
f:id:nagatorowo2:20240320185919j:image青面金剛庚申塔
f:id:nagatorowo2:20240320185859j:image刻銘「正徳五乙未年□〜□(1715)」f:id:nagatorowo2:20240320185923j:image御尊容(立像、一面六臂、合掌型)、その他像容・彫像(日天月天、瑞雲、三叉戟、矢、宝輪、弓)f:id:nagatorowo2:20240320185927j:image三猿像は風化により確認できず。


おまけf:id:nagatorowo2:20240320185934j:image境内に置かれた力石群。千代田区文化財に指定されています。f:id:nagatorowo2:20240320185907j:image鳥居のそばには富士講関係石碑群があります。こちらも先ほどと同様に文化財指定を受けています。f:id:nagatorowo2:20240320185911j:image福寿たぬき尊像。ユーモラスなデザインです。

柳森神社の所在地

庚申塔(座間市四ツ谷・路傍)

神奈川県座間市四ツ谷の路傍(訪問日:2024年2月9日)f:id:nagatorowo2:20240307110401j:image八王子街道の三叉路に円柱型の庚申塔が建っています。
f:id:nagatorowo2:20240307110405j:image文字庚申塔(篆書体、併用道標)


f:id:nagatorowo2:20240307110511j:image

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刻銘「嘉永七甲寅歳八月(1854) / 庚申塔」「右 八王子 ほしのや ミち / 左 厚木 ひら塚 道」

所在地

庚申塔(港区赤坂1丁目・正福寺)

東京都港区赤坂1丁目の正福寺(訪問日:2024年3月20日f:id:nagatorowo2:20240405134150j:image正福寺の納骨堂の入り口に石造の堂宇が2棟建っており、左の堂内に庚申塔が納められています。全体的に像容が崩れており、銘文や細かな意匠は確認が難しいです。
f:id:nagatorowo2:20240405134154j:image青面金剛庚申塔

刻銘「(銘不詳)」f:id:nagatorowo2:20240405134157j:image御尊容(立像、一面六臂、宝剣・ショケラ型)、その他像容・彫像(日天月天、瑞雲、矢、弓、宝輪、羂索(?))f:id:nagatorowo2:20240405134201j:image一邪鬼像と三猿像

正福寺の所在地

庚申塔2基と地神塔ほか(横浜市青葉区鴨志田町・甲神社)

神奈川県横浜市青葉区鴨志田町の甲神社(訪問日:2024年3月2日)f:id:nagatorowo2:20240403074632j:image鳥居f:id:nagatorowo2:20240403074636j:image「甲神社」扁額f:id:nagatorowo2:20240403074640j:image鳥居をくぐってすぐ右手に石仏石塔が散らかり気味に並んでいます。今回は民間信仰塔のみ載せます。
f:id:nagatorowo2:20240403074645j:image地神塔(併用道標)


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刻銘「文政十丁亥年十月吉日(1827) / 講中 / 地神塔」「左り 大山 奈可゛つタ 道」


f:id:nagatorowo2:20240403074649j:image青面金剛庚申塔(併用道標)①


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刻銘「文化十三丙子年九月吉日(1816) / 庚申講中」「西 大山道 / 東 江戸ミち」f:id:nagatorowo2:20240403074653j:image御尊容(立像、一面六臂、宝剣・ショケラ型)、その他像容・彫像(三叉戟、矢、宝輪、弓)f:id:nagatorowo2:20240403074656j:image二鶏像、一邪鬼像、三猿像。いずれも摩耗しています。


f:id:nagatorowo2:20240403074701j:image笠塔婆型石塔。寛文九年銘(1669)。全体的に崩落しており、造立趣旨は不詳。


f:id:nagatorowo2:20240403074705j:image青面金剛庚申塔
f:id:nagatorowo2:20240403074628j:image刻銘「享保十乙巳十一月吉日(1725) / 武刕小机領鴨志田村同行八人 / 奉供養庚申」f:id:nagatorowo2:20240403074709j:image御尊容(立像、一面六臂、合掌型)、その他像容・彫像(戟、矢、宝輪、弓)f:id:nagatorowo2:20240403074713j:image二鶏像、一邪鬼像、三猿像


f:id:nagatorowo2:20240403074717j:image稲荷大明神赤山大明神塔(石祠型稲荷大明神赤山大明神併刻塔)
f:id:nagatorowo2:20240403074625j:image刻銘「文久元酉九月(1861) / 願主平五郎 / 稲荷大明神 赤山大明神

甲神社の所在地

庚申塔(尼崎市東本町1丁目・辰巳八幡神社)

兵庫県尼崎市東本町1丁目の辰巳八幡神社(訪問日:2024年2月23日)f:id:nagatorowo2:20240305182540j:image左門殿川のそばに鎮座する神社です。阪神高速道路がすぐ近くに通っています。
鳥居のそばに解説板が設けられています。f:id:nagatorowo2:20240305182537j:image

解説板 辰巳八幡神社
鎮座地 尼崎市東本町一丁目四二番の二
祭神 応神天皇
旧社伝に宇佐八幡宮よりの勧請であるとされ応永二十六年(一四一九年)日隆上人が日蓮宗本興寺を当社地内に開基されたと寺伝にあり境内に現存する青面金剛童子碑台石の文保三年(一三一九年)の年号も当社創建の古さを物語るものであらう
昭和二十年第二次世界大戦の戦火に罹
り焼失し現在の社殿は昭和三十二年に復興されたものであり旧氏子町は辰巳町と称え東大道町、西大道町、北浜町、東渚町、西渚町、南浜町、末広町の七町で構成されていた
大祭日 十月十五日
末社 金子稲荷大神
大祭日 五月十二日

 

f:id:nagatorowo2:20240305182548j:image末社の金子稲荷大神の社殿のそばに庚申塔が置かれています。先の解説に出てきた青面金剛碑です。
f:id:nagatorowo2:20240305182544j:image文字庚申塔青面金剛塔)(角柱型)


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f:id:nagatorowo2:20240305182631j:image

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刻銘「貞享三丙寅天臘月朔日(1686) / 施主 重長氏 / 南無青面金剛童子 / 諸願成就 / 種子〈ウーン〉」「文保三年己未四月六日(1319) / 種子〈アン・アー・ア・アク〉」

彫像(日天月天、瑞雲)

台石は恐らく別の石塔を載せるためのもので、後世に転用されたと考えられます。

辰巳八幡神社の所在地

庚申塔(板橋区成増2丁目・小治兵衛窪庚申尊)

東京都板橋区成増2丁目の小治兵衛窪庚申尊(訪問日:2024年2月12日)f:id:nagatorowo2:20240405191514j:image高島平警察署赤塚交番のそばに覆屋が建っています。f:id:nagatorowo2:20240405191519j:image「小治兵衛窪庚申尊」標柱f:id:nagatorowo2:20240405191523j:image中には石仏石塔が納められています。左は庚申塔、右は記念碑です。
解説板も設けられていました。f:id:nagatorowo2:20240405191510j:image

解説板 庚申塔
 庚申(かのえさる)の日に、近隣の人々が集まり豊作や健康を祈る行事を庚申待という。この供養に立てたのが庚申塔である。
 この塔の正面には六手を持った青面金剛が陽刻してある。手に弓矢、宝剣を持ち、頭髪は上指て三猿の上に座っている。座像彫刻は比較的珍しい塔である。右面には武州豊嶋郡狭田領上赤塚村とあり、左面には天明三癸卯(みずのとう)年二月吉日と刻んである。庚申様は道祖神として交通安全や町内安全の守り神ともなっている。
 このあたりは「小治兵衛久保」という地名で呼ばれていた。また、「橋を作ってくれた盗人小治兵衛」の民話が残っている。この民話と共に古くから残る庚申塔は一度は松月院に永代供養を依頼した時期もあったが、成増南町会周辺の数少ない史跡として、再びこの地に安置し、町民の心の支えとして、末永くお祭りすることにした。
昭和六十三年一月吉日
成増南町会氷川神社管理運営委員会


f:id:nagatorowo2:20240405191526j:image青面金剛庚申塔


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刻銘「天明三癸卯年二月吉日(1783) / 武刕豊嶋郡峡田領上赤塚村 / 奉建立 願主 下田権右衛門(以下人名略)」f:id:nagatorowo2:20240405191530j:image御尊容(坐像、一面六臂、合掌型)、その他像容・彫像(三叉戟、矢、宝輪、弓)と三猿像


f:id:nagatorowo2:20240405191534j:image第百七拾週年記念碑。庚申講一同による建立。

小治兵衛窪庚申尊の所在地

庚申塔(戸田市本町4丁目・庚申堂)

埼玉県戸田市本町4丁目の庚申堂(訪問日:2024年2月2日)f:id:nagatorowo2:20240204001654j:image戸田公園駅東口から東方へ約150メートル進んだところ、ドラッグストアセキを背にして庚申堂が建てられています。通勤通学の人々を見守るような配置です。f:id:nagatorowo2:20240204001700j:image中には人丈もある石仏が納められています。
f:id:nagatorowo2:20240204001722j:image青面金剛庚申塔

刻銘「于時元禄十三歳庚辰十月二日(1700) / 上戸田村施主(敬白?)」
f:id:nagatorowo2:20240204001712j:image御尊容(立像、一面六臂、合掌型)、その他像容・彫像(日天月天、瑞雲、戟、矢、宝輪、弓)。戟や日輪月輪、帛、顔面などに彩色が施されています。
f:id:nagatorowo2:20240204001718j:image庚申さまは赤を好む神とも言われますし、あるいは疱瘡除けのまじないとしての赤かもしれません。f:id:nagatorowo2:20240204001726j:image一邪鬼像と三猿像

所在地