石仏石神を求めて

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天明飢饉供養塔(弘前市樹木・和合地蔵尊)(津軽地方の天明飢饉供養塔 #1)

青森県弘前市樹木1丁目の和合地蔵尊(弘南バス 樹木バス停近く)(探訪日:2022年9月22日)

樹木会館のすぐそば、バス停に降りたら目と鼻の先です。

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和合地蔵尊と並んで安置されています。
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地区の方々により維持管理されているようで、私が訪れた際にはリンゴと花がお供えされていました。
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刻銘「文化七庚午年八月廿六日(1810) / 卯辰丙年 餓死供養 / 樹木村中 / 〈円相〉」

 

以下、町会設置の説明板の書き起こし。

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解説板1枚目(右) 餓死供養塔について
天明の頃(一七八一−六)津軽は未曽有の飢饉に見舞われた。米作は平年の四分作 貯米も殆と無く人々は牛馬や犬猫まで食いつくすなど悲惨を極めた。天明三年(癸卯)と同四年(甲辰)の二ヶ年間で餓死者は八万人を越えたという。
 この塔は、卯・辰・丙(天明六)の年 この地で飢えに死んだ人々の霊を弔うため文化七年(一八一〇)に建てたもので、はじめ、道路端にあったが訳あって畑地に移され、長い間人目にふれることはなかった。
 この度塔を管理していた、福士武寿氏のご厚意と町会の総意により、この地へ移しその歴史の一端を長く後世に伝えることとした。
平成五年(一九九三)五月二十六日
樹木町会長 三上正雄
 副町会長 森山秀一
 副町会長 外崎武志

 

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解説板2枚目(左) 餓死供養塔保存について
餓死供養塔は台座から高さ一メートル二〇と云う貴重な石碑であり正面には餓死供養塔と刻まれた自然石であり永久に保存するため、協議の結果覆いをすることにした。
発起人
三上正 渋谷常光 吉村和夫 外崎武志 外崎哲造 中沢尚一 三上兼孝 森山秀一 木村清之助 蒔苗悌三郎 花田義弘 工藤勇三 外崎福繁 長尾五郎 福士武壽 佐藤秀文 相馬とし 成田勝子 赤平文恵
平成九年(一九九七)八月一日
樹木町会長 三上正雄

 

和合地蔵尊の地図