石仏石神を求めて

おもに石仏・石神などの石造物を探訪

青面金剛像庚申塔と馬頭観世音塔ほか(渋谷区恵比寿西2丁目)

東京都渋谷区恵比寿北2丁目の庚申塔群(探訪日:2023年7月27日)

恵比寿西一丁目交差点から代官山町へ続く北西の道を50メートルほど行くと、右手側に庚申塔の祀られた堂宇があります。

f:id:nagatorowo2:20230805164656j:image
f:id:nagatorowo2:20230805164659j:image

f:id:nagatorowo2:20230805164814j:image解説板も設けられています。

 

解説板 恵比寿西二丁目11番7号
庚申塔
 庚申信仰は、江戸時代に盛んに行われ、多くの講(グループ)が作られました。それにともない、たくさんの庚申供養塔があちこちの路傍に建てられたのです。
 その信仰とは、六十日ごとに巡ってくる庚申の夜、うっかり寝てしまうとそのまま死んでしまうことがあると信じられていました。庚申の日は、一晩中飲んだり食べたりしながら語り明かして、眠らないようにして過ごしたのです。その仲間を庚申講と呼びました。
 ここには五基の庚申塔馬頭観音が一基あります。囲いのなか向かって右側より、寛文八年(一六六八)、延宝四年(一六七六)、延宝二年(一六七四)、寛文四年(一六六四)の庚申塔があり、明治三十八年(一九〇五)の庚申塔馬頭観音と共に囲いの外に建っています。
渋谷区教育委員会


f:id:nagatorowo2:20230805164703j:image堂内には4基が納められています。紹介は左からです。
f:id:nagatorowo2:20230805164716j:image三猿像庚申塔

刻銘「寛文四甲辰十月吉日(1664) / 諸法本不正自性離言説清浄无垢染因業等虚空 / 右奉造立意趣者為庚申供養 / 発心門種子〈キャ・カ・ラ・バ・ア〉」


f:id:nagatorowo2:20230805164712j:image青面金剛庚申塔 その1

刻銘「延宝二甲寅天十月大吉祥日(1674) / 武州豊嶋郡下渋谷村 / 如等所行是菩薩道漸々修学悉當成佛 / 種子〈アーンク〉」


f:id:nagatorowo2:20230805164709j:image一猿像庚申塔

刻銘「寛文八年戊申九月吉祥日(1668) / 武州豊島郡下渋谷村 / 奉造立□~□一基爲□~□誦供養也 / 我昔諸願今者以□~□ / 発心門種子〈キャ・カ・ラ・バ・ア〉」

f:id:nagatorowo2:20230805164835j:image合掌する一猿像。烏帽子のようなものを頭に被っています。


f:id:nagatorowo2:20230805164706j:image青面金剛庚申塔 その2

刻銘「延寶四丙辰天十一月吉辰日(1676) / □~□一結衆右意趣者□~□ / 如等所行是菩□道□々修学□~□ / 種子〈バ・ウーン〉」


f:id:nagatorowo2:20230805164719j:image解説板の通り、堂の外にも石仏があります。
f:id:nagatorowo2:20230805164723j:image青面金剛庚申塔 その3f:id:nagatorowo2:20230805164649j:image刻銘「明治卅八年五月一日立(1905) / 富田勘次郎」

 

f:id:nagatorowo2:20230805164730j:image馬頭観音像付馬頭観世音塔
f:id:nagatorowo2:20230805164652j:image刻銘「大正四年八月四日(1915) / 岡田某」f:id:nagatorowo2:20230805164726j:image馬頭観音の坐像が塔身正面上部に刻まれています。

 

f:id:nagatorowo2:20230805164903j:image囲いを構成する石の中に青面金剛庚申塔の残欠部と思しきものもありました。こちらは破損がひどく、彫像部、刻銘ともに不詳です。

所在地