石仏石神を求めて

おもに石仏・石神などの石造物を探訪

庚申塔群と切支丹燈籠(目黒区下目黒3丁目・大鳥神社)

東京都目黒区下目黒3丁目の大鳥神社(訪問日:2024年2月3日)f:id:nagatorowo2:20240308141734j:image社殿。大鳥神社の創建は大同元年(806)にまで遡るそうです。
f:id:nagatorowo2:20240308141723j:image

解説板① 大鳥神社
下目黒3-1-2
 この神社は、日本武尊の東征にゆかりがあるといわれるこの地に、大同元年(806)創建された区内最古の神社です。江戸地図として古いものとされる「長禄江戸図」に書かれている古江戸9社の1つで、目黒村の総鎮守でもありました。祭神は日本武尊を主神とし国常立尊弟橘媛命を合祀しています。
 毎年11月に開かれる西の市は、東京では古いものの1つといわれており、現在も都内では有数の賑いをみせています。この市のいわれは日本書紀に「十月己酉に日本武尊を遣わして、熊襲を撃つ」とあり、尊の出発日が西の日であったことから、おこったと伝えられています。
 毎年9月の例大祭には、目黒通りに大小30余基の町みこしが勢揃いします。それとともに社殿では「太々神楽・剣の舞」が奉納されます。11月の西の市には、「太々神楽・熊手の舞」が神前で舞われます。
 境内には、東京都の天然記念物に指定された「オオアカガシ」の老木や三猿だけの延宝塔、元禄時代(1688〜1703)や宝永年間(1704〜1710)の屋根付庚申塔など5基の石造物もあります。また、俗に切支丹燈籠といわれる「織部式矯寵」や、天保6年(1835)の西の市に神楽を奉納した記念碑などもあります。
平成7年3月
目黒区教育委員会


f:id:nagatorowo2:20240308141738j:image解説板の通り境内には庚申塔群があります。向かって右から載せます。
f:id:nagatorowo2:20240308141742j:image青面金剛庚申塔

刻銘「元禄元年戊辰十月廿一日(1688) / 施主 若松与兵衛(以下人名略)」f:id:nagatorowo2:20240308141746j:image御尊容(立像、一面六臂)f:id:nagatorowo2:20240308141750j:image三猿像


f:id:nagatorowo2:20240308141754j:image青面金剛庚申塔

刻銘「宝永元甲申天仲冬廿四日(1704) / 講中下目黒村 同行十人 / 奉納青面金剛一躰」f:id:nagatorowo2:20240308141758j:image御尊容(立像、一面六臂)f:id:nagatorowo2:20240308141802j:image三猿像


f:id:nagatorowo2:20240308141806j:image青面金剛庚申塔

刻銘「元禄元戊辰暦霜月廿七日(1688) / 大聖院 / 松沢三郎衛門」f:id:nagatorowo2:20240308141810j:image御尊容(立像、一面六臂)f:id:nagatorowo2:20240308141814j:image三猿像


f:id:nagatorowo2:20240308141818j:image文字庚申塔

刻銘「延宝三暦卯十月六日(1675) / 奉納庚申供養二世安樂祈所 / 施主 吉田某 / 種子〈ウーン〉」f:id:nagatorowo2:20240308141822j:image三猿像


f:id:nagatorowo2:20240308141727j:image大鳥神社のオオアカガシ」と刻んだ石塔のそばには切支丹燈籠があります。
f:id:nagatorowo2:20240308141730j:image

解説板② 「切支丹灯籠」
かつて肥前島原藩主松平主殿頭の下屋敷にあったものと伝えられる。後に境内へ移されたもの。
竿石の下部に刻まれた像には足の表現がなく、イエス像を仏像形式に偽装した珍しい型の織部灯籠である。キリシタンへの弾圧と迫害が厳しくなった寛永・正保・慶安の頃から江戸中期にかけて作られたものと考えられる。
他の宗教からも大鳥神社は、崇敬の念を持たれていたという事が分かる。

大鳥神社の所在地