石仏石神を求めて

おもに石仏・石神などの石造物を探訪

庚申塔2基と出羽三山塔(墨田区向島5丁目・長命寺)

東京都墨田区向島5丁目の長命寺(訪問日:2024年1月10日)f:id:nagatorowo2:20240202190723j:image向島ICの近く、見番通り沿いにある寺院です。平日は付属の言問幼稚園の開園日のため裏門からお参りする必要があります。f:id:nagatorowo2:20240202190646j:image裏門の入ってすぐ右手には歌碑などの石碑群があります。写真奥の土盛りの上には出羽三山信仰の碑が置かれています。区の文化財指定を受けている貴重なものです。
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解説板 墨田区登録文化財
出羽三山の碑
所在地 墨田区向島五丁目四番四号 長命寺
 出羽三山は、山形県のほぼ中央に連なる月山、湯殿山羽黒山の総称で、古来より山岳信仰修験道霊場として発展してきました。本碑は文政十一年(一八二八)四月に建立されましたが、この時期を含む江戸時代後期には、主に東北、関東地方で講を組織する人々が増え、江戸においても三山登拝を行う人々が少なからずいたといわれています。
 本碑は、盛土をして高くした上に建てられています。当初の建立地は不明ですが、長命寺によれば、大正十二年(一九二三)頃にはすでに現在地にあったようです。
 碑の正面中央には、胎蔵界大日如来を表す種子アーンクと「湯殿山」の文字が彫られています。そして、向かって、右側に阿弥陀如来を表す種子キリークと「月山」の文字を、左端側には観世音菩薩を表す種子サと「羽黒山」の文字をそれぞれ配しています。また、左下には揮毫者と思われる「空居」の号が刻まれています。出羽三山を崇拝し祀る習慣の定着が、こうした石碑の建立につながったと分かります。
 一方、裏面には、日付とともに建立に関係した人々七十九名の名前が居住地ごとに刻まれています。中には判読困難な文字もありますが、浅草、大畑村、請地村、寺嶋村、寺嶋村新田、須崎村、小梅村、中之郷村の人々の名前を確認することができます。江戸時代後期に隅田川をはさむ向島・本所北部と浅草方面に出羽三山信仰が普及し、そこに暮らした人々が信仰を共有していたことがうかがえます。
 現在区内では、出羽三山信仰に関係する資料の発見例が少ないため、本碑は貴重な資料といえます。
平成二十五年三月
墨田区教育委員会


f:id:nagatorowo2:20240202190650j:image出羽三山f:id:nagatorowo2:20240202190638j:image刻銘「文政十一戊子年四月吉日(1828) / 空居 / 月山 湯殿山 羽黒山 / 種子〈キリーク・アーンク・サ〉」


f:id:nagatorowo2:20240202190654j:image本堂の向かって左側の木々の植えられたところに庚申供養塔であるお地蔵さんが建っています。f:id:nagatorowo2:20240202190657j:imageその足下には「庚申地蔵尊 万治二年造」と刻む碑。
f:id:nagatorowo2:20240202190701j:image地蔵菩薩庚申塔

刻銘「于時万治貮歳霜月吉祥日(1659) / 同行六人 / 奉供養庚申地藏大菩薩二世安樂所 / 種子〈カ〉」f:id:nagatorowo2:20240202190705j:image御尊容


f:id:nagatorowo2:20240202190708j:image今度は上の庚申塔の斜向かい、墓塔などの並ぶスペースに庚申塔があります。
f:id:nagatorowo2:20240202190712j:image青面金剛庚申塔

刻銘「寶永三丙戌天(1706) / 文化十一甲戌天九月上旬五日再建(1814) / 本所法息寺前 小泉氏 會田氏 願主 觀心 石工 五辰右衛門」f:id:nagatorowo2:20240202190715j:image御尊容(立像、一面六臂)f:id:nagatorowo2:20240202190719j:image二鶏像、一邪鬼像、三猿像

長命寺の所在地