石仏石神を求めて

おもに石仏・石神などの石造物を探訪

庚申塔と巡拝塔(杉並区清水2丁目・小堂)

東京都杉並区清水2丁目の小堂(訪問日:2023年11月18日)f:id:nagatorowo2:20240213232211j:image妙正寺前交差点を南下すること約150メートル、左手に木々に隠されるようにして小堂が建っています。
解説板がありました。f:id:nagatorowo2:20240213232204j:image

解説板① 民間信仰石塔
 ここに建立されている石塔は、向かって右が宝永五年(一七〇八)銘笠付角柱庚申塔帝釈天)、左が安永十年(一七八一)銘角柱型廻国供養塔です。かつてはここより北西約百メートルの現NTT井草ビル北西角(旧称馬場下道の路地角)に造立されていましたが、大正から昭和初めに行われた土地区画整理の際に当地に移されました。
 庚申塔は、庚申の夜に体内にいる三尸の虫が、その人の悪業を天帝に告げ、寿命を縮めるという道教の説から、人々が集まって夜を明かす庚申待を行った講中が、供養のために建てたものです。この塔は、青面金剛や三猿が彫刻された庚申塔で、「奉造立帝釈天講中」と刻まれています。一般に庚申信仰では青面金剛が主尊とされますが、日蓮宗では帝釈天庚申信仰の対象としています。この塔からも、日蓮宗での帝釈天信仰と庚申信仰の結びつきがわかります。また、青面金剛は六臂のものが一般的ですが、これは八臂の青面金剛で区内でも珍しいものです。
 廻国供養塔は、西国三十三観音などの霊場巡拝を遂げたことを記念して
建てたものといわれます。西国三十三観音に加え、江戸時代には坂東三十三
観音、秩父三十四観音が設けられ、百観音巡拝の観音信仰が盛んになりました。この塔も、百ヶ所を巡拝したことを記念して建てたものと思われます。塔上部の八字の梵字は、聖観音真言をあらわしています。真言とは、口で唱えると仏と一体となれると考えられている、仏の教えを表現する梵語です。
 なお、花立にはこの辺りに落ちた焼夷弾の残骸を使用しています。
平成十九年七月
杉並区教育委員会

解説には廻国供養塔とありますが、正確には巡拝供養塔(百番供養塔)です。

f:id:nagatorowo2:20240213232215j:image納められた石仏と石塔。賽銭泥棒やイタズラ防止のため監視カメラが堂の上部に付いています。掲載は右の石仏からですが、堂内にも解説板があったのでそちらを先に。
f:id:nagatorowo2:20240213232208j:image解説板②。上掲の解説板と内容はほぼ一緒。ただし、こちらはしっかり「百観音巡拝供養塔」と記してあるほか、庚申塔と巡拝塔それぞれの銘文を詳らかに書き起こしています。

f:id:nagatorowo2:20240213232219j:image青面金剛庚申塔(一面八臂)


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刻銘「寶永五戊子年十月十八日(1708) / 發願井草村 / 奉造立帝釋天王講中現當二世大願成就」


f:id:nagatorowo2:20240213232223j:image巡拝塔(百番供養塔、巡拝供養塔)

刻銘「安永十辛丑年三月吉日(1781) / 武州多摩郡井草村 願主榎木忠右衛門 / 奉供養四國坂東秩父三四ヶ所為三世安樂也」※銘文は解説板②の内容による。

小堂の所在地