石仏石神を求めて

おもに石仏・石神などの石造物を探訪

庚申塔群と日本諸国社号等標石群ほか(品川区西五反田3丁目・徳蔵寺)

東京都品川区西五反田3丁目の徳蔵寺(訪問日:2024年2月3日)f:id:nagatorowo2:20240301182646j:image山手線湘南新宿ラインの目黒駅から五反田駅の線路沿いに位置する寺院です。本堂にあたる建物は現代的な造りをしており、都市一体の雰囲気を醸し出しています。f:id:nagatorowo2:20240301182650j:image本堂の手前には半跏の地蔵菩薩像(左)と立像の地蔵菩薩像が置かれています。それぞれ三輪地蔵尊、塩地蔵尊という名で信仰されているようです。


本堂側に歩みを進めるとほかにも石造物があります。そのそばには解説板が伴っています。

解説板① 品川区指定有形文化財
徳蔵寺石造庚申供養塔群
所在西五反田三丁目五番十五号(徳蔵寺)
指定昭和五十五年三月十一日(有形民俗第八号)
 当寺の境内には、五基(板碑型一基、駒型二基、笠塔婆型二基)の庚申塔がある。いずれも、もとは上大崎村各所に散在していたが、都市化の進展により、当寺に集められた。
 板碑型の塔は、寬永十二年(一六三五)に造立されたもので、庚申塔としては品川区内最古のものである。他の四基はいずれも十七世紀後半に、上大崎村の庚申講中の人々が造立したものである。
 庚申信仰は、六十日に一度めぐってくる庚申の日に、その夜を眠らずに過して健康長寿を願う信仰で、道教の三尸信仰から出たといわれ、かつては区内各所にこの講があった。
平成八年三月三十一日
品川区教育委員会


f:id:nagatorowo2:20240301182701j:image掲載は向かって右のものから。
f:id:nagatorowo2:20240301182705j:image青面金剛庚申塔

刻銘「延宝五丁巳年十一月吉日(1677) / 武刕荏原郡上大崎村 / 種子〈ウン〉」f:id:nagatorowo2:20240301182708j:image御尊容(立像、一面六臂)f:id:nagatorowo2:20240301182712j:image二鶏像と三猿像


f:id:nagatorowo2:20240301182716j:image文字庚申塔

刻銘「天和二年戌九月十六日(1682) / 奉供養庚申講中f:id:nagatorowo2:20240301182719j:image三猿像と二鶏像


f:id:nagatorowo2:20240301182723j:image文字庚申塔

刻銘「元禄二己巳天三月廿三日(1689) / 奉供養庚申講中 / 種子〈アーンク〉」f:id:nagatorowo2:20240301182726j:image三猿像f:id:nagatorowo2:20240301182732j:image二鶏像


f:id:nagatorowo2:20240301182735j:image文字庚申塔

刻銘「寛永十二天乙亥三月吉日(1635) / 當願衆 右 江戸竹河町 大峯行者教善院 / 奉起立庚申供養二世安楽祈所 / 種子〈ア〉」


f:id:nagatorowo2:20240301182739j:image文字庚申塔

刻銘「延寶八年庚申十一月十七日(1680) / 武刕荏原郡上大崎村」


f:id:nagatorowo2:20240301182658j:image庚申塔群の右奥には丸っこい石塔が沢山並ぶ空間があります。これらも文化財指定を受けています。

 

解説板② 品川区指定有形文化財
日本諸国社号等標石群
所在西五反田三丁目五番十五号 徳蔵寺
指定昭和五十五年三月十一日(有形民俗第九号)
 諸国の一宮の名を刻んだ四十三個の自然石で、植込みの樹木の周囲に置かれている。もとはどんな形で置かれていたかは不明であるが、現在では一部が失われている。
 これは、諸国の霊社霊仏に納経する六十六部廻国聖の巡礼にちなんで造られたものと考えられる。六十六カ所の一宮を巡ることもあったので、六十余州すべての国の社号が、一石毎に彫られていたものと思われる。
 石に彫られた寄進者の住所や氏名には、当寺の檀徒の多かったこの付近の人々のほか、江戸府内の住民の名も見られる。江戸時代の民間信仰の広がりやあり方を知る上で、大変貴重なものである。
平成十年三月三十一日
品川区教育委員会

 

f:id:nagatorowo2:20240301182654j:image解説板の通り、日本各地の寺社の本尊や社号などが刻まれております。羽州湯殿山越州立山大権現のほか、駿州の富士山大権現の文字も見えます。

徳蔵寺の所在地