石仏石神を求めて

おもに石仏・石神などの石造物を探訪

庚申塔と馬頭観音塔ほか(つがる市森田町上相野・尊殿堂)

青森県つがる市森田町上相野字福留の尊殿堂(訪問日:2024年1月3日)f:id:nagatorowo2:20240303193847j:image大字柏広須との境に鎮座する神社です。「尊殿」という社号から東北地方のソウゼン様信仰(馬頭観音信仰)にまつわるお社と分かります。
上掲写真の中央右下に石塔が見えます。手前のが百万遍塔です。f:id:nagatorowo2:20240303193850j:image百万遍供養塔(百万遍塔)

刻銘「昭和十四年(1936) / 村中 / 百万遍


f:id:nagatorowo2:20240303193902j:image百万遍塔のそばにはツカ上げ(庚申のツカ)を伴う庚申塔があります。
f:id:nagatorowo2:20240303193858j:image文字庚申塔

刻銘「文政五年壬午八月十五日(1822) / 鎮庚申」
f:id:nagatorowo2:20240303193854j:image社殿の裏手にもツカ上げ。古くなったツカをそのまま放置しているようです。f:id:nagatorowo2:20240303193905j:image鳥居。藤の咲く季節になれば美しい光景が見れるそうです。f:id:nagatorowo2:20240303193843j:image由来書もありました。

由来書 尊殿堂三本藤の由来
そもそも尊殿堂三本藤の由来を尋ねみるに天正ははじめの頃(昭和五十三年から約四百年位前)津軽藩祖為信公が新合開発の志をいただき御巡視のため現在の妙堂崎山から卯の方(東の方)一面にひろがる芦原の中にひときわ高き大木の根元より一筋の煙の立ちのぼるを眺望し、そこ広須村に至らんと御乗馬のたずなを牽かせ此処まで参られた時お召馬が疲れはて倒れたのを公いたくあわれみ、ながく新田開発の神と祭らんと、背負いたる号矢を取り馬頭観音と書いた塔を建て、持ちたる藤のむちを植えられ、あつくこれを葬むられたという。
この尊殿堂三本藤の由来で甫来当地方開発の神ならびに神木として尊崇されて来たものです。よってここに本市の文化財に指定し、永代にこれを保存し、先祖の開拓精神をながく語り継がんとするものです。
謹言

f:id:nagatorowo2:20240303193913j:image社殿。施錠されており拝観は叶わず。
社殿前にも石塔があります。これが先の由来に登場する馬頭観音塔と思われます。f:id:nagatorowo2:20240303193909j:image馬頭観音

刻銘「(紀年銘不詳) / 馬頭観音

尊殿堂の所在地