東京都中野区中央3丁目の慈眼寺(訪問日:2023年11月18日)本堂
境内の一画に石仏群が寄せ集められています。
これらの解説板も設けられています。
まずは馬頭観音塔群からの紹介です。馬頭観音塔(馬頭観音立像塔)①
刻銘「銘不詳」
右の4基の石造物もわずかに残る像容から馬頭観音塔と判断しました。いずれも銘文は摩滅しきっています。
上の石造物の向かいには地蔵菩薩坐像塔が1基。こちらの銘文は未確認です。
続いては庚申塔群。計6基の青面金剛像庚申塔が並びます。掲載は向かって左から。
刻銘「寶永四丁亥天九月吉日(1707)」御尊容
刻銘「元禄四辛天十月吉日(1691) / 奉造立庚申二世安樂祈所 / 種子〈ウーン〉」御尊容
刻銘「享保十五庚戌天十月吉日(1730) / 多麻郡中野邑上宿各敬白 / 奉造立庚申二世安樂祈所 / 種子〈ウーン〉」御尊容
刻銘「元禄三庚午年十二月四日(1690) / 奉造立庚申供養講衆現當二世安樂之所 施主敬白 / 種子〈ウーン〉」御尊容笠頂に腰掛ける一猿像
刻銘「寛保貮壬戌天九月吉祥日(1742) / 武刕多摩郡中野西町 / 奉造立庚申尊像爲講中二世安樂也」御尊容④と同様、笠の頂点に腰掛ける一猿像
青面金剛像庚申塔(一面六臂)⑥刻銘「元禄九丙子年十一月十六日敬白(1696) / 武刕多摩郡中野村 / 奉造塔庚申供養講衆二世安樂之攸」御尊容
こちらが最後の石仏、馬頭観音塔です。角柱型の塔身の上に丸彫の馬頭観音坐像を据えたものです。馬頭観音塔(丸彫坐像載馬頭観音塔、併用道標)②
刻銘「文化十三丙子年三月再建(1816) / 中野村 念佛講中 / 四ッ谷石切横丁 石工六兵衛(左兵衛?) / 世話人 関口郷左衛門(以下人名略) / 南無阿弥陀佛 / 種子〈ウーン・タラーク・キリーク・アク〉」「右 いくさ道 / 左 あふめ道」御尊容
造塔から200年以上経過しているものの像容の残存具合は大変に良好です。
丸彫像は比較的崩れやすいものですが、後補と思しき馬頭像と右の第二手を除き、これには殆ど欠失の跡はありません。個人的に23区内で5本指に入る馬頭観音塔と思っています。
おまけ境内に建てられたインド様式の仏塔など。マンションやアパートの集まるこの地域ではかなり異彩を放つ建築です。
慈眼寺の所在地