石仏石神を求めて

おもに石仏・石神などの石造物を探訪

出羽三山塔と庚申塔(湯沢市三梨町・路傍)

秋田県湯沢市三梨町字御嶽堂の路傍の小堂(探訪日:2023年3月26日)

f:id:nagatorowo2:20230731011312j:image事前情報ではこの道の先の三梨神社にあると聞いていたので、見つけたときは驚きました。
f:id:nagatorowo2:20230731011241j:image堂内には庚申塔由来書が掲げられています。

由来書 庚申塔由来
 庚申塔は、昔の人たちの「庚申信仰」を今に語る記念の石碑で、この碑は、江戸時代の、文化四年(西暦一八〇七年)に建てられたものです。
 六十日に一度めぐってくる庚申の夜、腹の中にいる上尸、中尸、下尸という三匹の虫がその人の眠っている間に天に登っていって、その人の罪や汚れを天帝につたえ、その人に災いをもたらすと信じられていました。
 そのため、その夜は、村の老若男女が一堂に集まり、身を清め、行いをつつしみ、一晩中眠らないようにお互いに戒め合って、庚申さまをおまつりしました。それは、いわばみだりに集会を許されなかった当時の人々の楽しい交流学習の場でもあったわけです。
 下にある三猿の像は、見ざる、いわざる、聞かざるの戒め、上にある日月の彫刻は、天地自然の恵みに対する感謝の祈りをこめたものといわれています。
 又、左にある宝塔の碑は、月山、湯殿山羽黒山ならびに鳥海山の山霊に対する崇敬の心を表したものです。
 このたび、御嶽堂青年会では「ふるさとを学び文化財を大切にしよう。」と、新たに堂を建て、みんなで碑の整備に奉仕したものであります。
 昭和五十四年 九月 二日
 御嶽堂青年会員一同 敬白
 稲川町字大森沢 阿部一人 謹書
 寄贈 遠藤信義


f:id:nagatorowo2:20230731011255j:image出羽三山
f:id:nagatorowo2:20230731011303j:image刻銘「明治二年巳八月吉日(1869) / 種子〈アーンク〉」
f:id:nagatorowo2:20230731011259j:image鳥海山

湯沢市周辺では鳥海山を主銘とする石塔もしばしば見られます。


f:id:nagatorowo2:20230731011252j:image無銘の石塔。恐らく庚申塔の類でしょう。


f:id:nagatorowo2:20230731011244j:image文字庚申塔
f:id:nagatorowo2:20230731011248j:image刻銘「文化四丁卯九月建(1807)」
f:id:nagatorowo2:20230731011307j:image台石に刻まれた二鶏と三猿。鶏は大きさがそれぞれ異なります。雌雄あるいは親子を意識したのかもしれません。

 

以下おまけ

f:id:nagatorowo2:20230731011844j:image国道398号おにぎり
f:id:nagatorowo2:20230731011841j:image湯沢市三梨町菻田(がつぎた)。「菻」は方言漢字で、用例の少ない希少漢字でもあります。

f:id:nagatorowo2:20230731141616j:image羽後交通・三梨菻田バス停。バス停名にも採用されています。

付近のキリスト看板f:id:nagatorowo2:20230731011848j:image「神を畏敬え」f:id:nagatorowo2:20230731011852j:image


f:id:nagatorowo2:20230731011837j:image「キリストは再び来る」

石塔群の所在地