石仏石神を求めて

おもに石仏・石神などの石造物を探訪

青面金剛像庚申塔(伊勢市辻久留・北向幸神神社)

三重県伊勢市辻久留1丁目の北向幸神神社(探訪日:2023年5月5日)

f:id:nagatorowo2:20230730173610j:image辻久留公民館に隣接しています。
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f:id:nagatorowo2:20230730173617j:image市川塔南揮毫の「幸神」扁額。「さいのかみ」と読みます。
f:id:nagatorowo2:20230730173544j:image財団法人伊勢文化会議所が設置した解説板

解説板 北向庚申塔
 青石材。伊勢市で一三〇余の庚申塔中、青面金剛像では最古最大のものであります。
 青面金剛像は普通三面六臂像が多いのですが、この像は一面二臂です。脚下の天邪鬼も各脚下に鬼一匹ずつというのも、伊勢市では本塔のみであります。他に日月や一猿一鶏を刻んでいます。
 庚申というのは、〈えと〉でいう〈かのえさる〉で、六十日あるいは六十年ごとに巡ってきます。この日は徹夜で過ごし、長寿を願う信仰がありました。この流れをくんで、ここの信仰は今も生きています。
お堂の前の〈幸神〉の扁額は、津市の市川塔南(一八五六〜一九二八)の書です。幸神は塞の神のことで道祖神のことであります。災難をさける意味から庚申信仰と習合したものでしょう。
◼︎所在 伊勢市辻久留一丁目
◼︎本尊 青面金剛
    高さ一五四センチ
    横九十九センチ
    厚さ四十センチ
◼︎銘文 天和三年癸亥十月廿二日(一六八三)


f:id:nagatorowo2:20230730173541j:image北向幸神大祭という行事があるようです。7月1日は本年における四庚申の日です。我が家でも当日、庚申待を行いました。
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社上に掛かっていた由来書 北向幸神 辻久留庚申堂

 この庚申堂が、現在地に移ったのは、八十年ほど前のことで、通称北向幸神と呼ばれている。北を向いている庚申堂は、全国でも珍しいので、この呼び名がある。

 堂の正面には、市内では最も大きい青面金剛像(石造)が安置されている。これには天和三年癸亥十月廿二日(一六八三年、三百年前)と刻まれている。この像の両側には、小さな線彫の庚申と半肉彫の青面金剛像が祀られている。就職進学商売繁昌にご利益があるとして、お詣りが多い。お堂の扉に猿を型取った縫いぐるみがつながって、ぶらさげられている。これは、願望が満たされた時に、お礼として捧げたものだという。伊勢市内では、最も信仰の篤い庚申さんの一つと言えるであろう。

 

f:id:nagatorowo2:20230730173553j:image扉前の小さな鳥居。すぐ近くに鎮座する上社という神社にある石にも同じものがあげられていました。f:id:nagatorowo2:20230730180141j:image
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f:id:nagatorowo2:20230730173549j:image穴空きの小石が連なって吊るされていました。全国各地に伝わる「目通し」の信仰に通ずるものがあるのでしょうか。薬師様の功徳に近しいものを感じます。


f:id:nagatorowo2:20230730173559j:image畏れ多いですが、中を拝見させていただきました。
f:id:nagatorowo2:20230730173606j:image一面二臂像。なんと立派な青面金剛庚申塔なのでしょうか。うっすらと紅色に彩色されているところも確認できます。像の前には木彫りの猿像があり、実に可愛らしいです。

刻銘「天和三年癸亥十月廿二日(1683)」


f:id:nagatorowo2:20230730173603j:image解説板に掲載された本塔の写真

北向幸神神社の所在地