2023-08-08 天明飢饉供養塔(弘前市湯口・墓地)(津軽地方の天明飢饉供養塔 #12) 天明飢饉供養塔 青森県弘前市湯口字一ノ細川の墓地(探訪日:2022年9月23日) 墓地入り口からすぐのところに墓塔とともに安置されています。 天明飢饉供養塔 刻銘「文化三丙寅天二月日(1806) / 湯口村中 / 二十三廻忌建立 / 夘辰两歳 餓死精霊有縁無縁菩提塔 / 種子〈キリーク〉」 背後には解説板も設けられていました。 解説板 飢餓供養塔 藩政時代二百六十年の間には、津軽の領民、とくに農民に対して大自然の猛威が襲いかかり、ほぼ四年おきに六十数回の不作、凶作、飢饉があったといわれるが、その中でもとくにひどかった天明の冷害は、二年(一七八二)からはじまり、三年の場合は八月中旬まで殆んど快晴をみることなく、霜の降りるありさまで大凶作になり、翌四年も皆無作であったという。 人々は食物を奪い合い、盗賊、殺人、放火が横行し、人間を食うなど飢餓地獄と化したのである。当時の藩の人口は約二十五万人といわれるが、その三分の一の八万人の餓死者が出たといわれる。 碑文の「卯辰」とあるのは、天明三年が癸卯、四年が甲辰のためであり、相馬村にはこのような供養塔が六基ほどある。 墓地の所在地