石仏石神を求めて

おもに石仏・石神などの石造物を探訪

庚申塔3基(調布市深大寺北町6丁目・庚申塚児童遊園)

東京都調布市深大寺北町6丁目の庚申塚児童遊園(訪問日:2023年10月14日)

f:id:nagatorowo2:20231016004518j:image閑静な住宅街にある小さな公園です。遊具は滑り台のみ。
f:id:nagatorowo2:20231016004521j:image公園隅に覆屋を伴って庚申塔が3基安置されています。
f:id:nagatorowo2:20231016004510j:image調布市の指定有形民俗文化財だそうです。
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解説板 市指定郷土資料(民俗資料)
山野庚申塚の庚申塔 三基
所在 深大寺北町六丁目八番地十九
指定 平成二年十二月二十六日
これらの庚申塔は、市内における最も代表的なものである。いずれの塔も正面に青面金剛像と三匹の猿を配し、中でも正徳五年(一七一五)の塔には野崎村の二名をはじめ深大寺村山野三名、深大寺村宿二名の人びとの名が刻まれている。享保四年(一七一九)の塔には「深大寺村庚申講中拾五人」、同六年(一七二一)の塔には「講中深大寺村七人」とあり、行事に関係した人数があげられている。
 庚申信仰は、中国の道教からおこった信仰で、既に古くは平安時代の貴族たちの間に行われ、江戸時代になると広く民間に普及した。それは六十日ごとにやってくる干支(えと)の庚申の夜に眼ると命が縮まるといわれ、その夜は眠らずに身を慎み一夜を過ごすという信仰行事であった。そのため、全国各地に庚申講がおこり、石塔や塚をこしらえ、飲食を共にしながら語り明かした。
 その行事は、村人にとって楽しい社交の場であるとともに、互助の役割も果たした。
 民間信仰の長い歴史をもつ庚申信仰の資料として、歴史上、民俗上貴重なものである。
調布市教育委員会

 

f:id:nagatorowo2:20231016004712j:image正面向かって左から紹介します。


f:id:nagatorowo2:20231016004701j:image青面金剛庚申塔

刻銘「享保六辛丑歳七月初三日(1721) / 講中深大寺村七人 / 奉造立庚申供羪塔 / 種子〈ウーン〉」

 

f:id:nagatorowo2:20231016004705j:image青面金剛庚申塔

刻銘「正徳五乙未歳十一月廿八日(1715)」


f:id:nagatorowo2:20231016004708j:image青面金剛庚申塔

刻銘「享保亥年十一月十六日(1719) / 奉供養庚申」

児童遊園の所在地