石仏石神を求めて

おもに石仏・石神などの石造物を探訪

庚申塔2基と如意輪観音塔(中野区中野5丁目・天神北野神社)

東京都中野区中野5丁目の天神北野神社(訪問日:2023年11月18日)f:id:nagatorowo2:20231214185716j:imageもみじ山通りを西にそれた住宅街に鎮座する神社です。
f:id:nagatorowo2:20231214185720j:image社殿
f:id:nagatorowo2:20231214185724j:image社殿の向かって右側には石仏群が置かれています。
f:id:nagatorowo2:20231214185712j:image解説板もあります。

解説板 神町の石仏
神町の石仏という呼称は、中野五丁目東側のこのあたりが昭和四十一(一九六六)年まで天神町と呼ばれていたことに由来します。
 青面金剛像と如意輪観音像は、いずれも元禄期に彫刻・造立されたもので、刻文の「打越村 願主 鈴木 保坂」は、当時この地に住んでいた村人と思われます。その人々が中心となって、庚申講や如意輪観音講をつくり、近くの村人を一堂に集めて、講の座をいくども重ねたことでしょう。江戸時代も元禄頃になると、伝統的な信仰行事もしだいに民衆化され、いつしか娯楽的な面が強くなっていったようです。
 この三体の石仏は以前、この神社前の道路わきにあったといわれ、講の結成を記念し、あわせて青梅街道から新井薬師へ参詣する人々の安全を祈り、道しるべもかねて造立されたようです。人々の安全を祈ることにより、その功徳で自分たちが幸せになれるように願った、当時の村人たちの素朴な信仰をうかがうことができます。
平成二十九年十二月
中野区教育委員会


f:id:nagatorowo2:20231214185740j:image向かって右から紹介します。
f:id:nagatorowo2:20231214185728j:image青面金剛庚申塔(一面六臂)①

刻銘「元禄五壬申天霜月十五日(1692) / 打越村願主鈴木某 / 奉造立庚申爲講衆二世安樂也 / 種子〈ウーン〉」


f:id:nagatorowo2:20231214185732j:image青面金剛庚申塔(一面六臂)②

刻銘「元禄十四辛巳天十月七日(1701) / 武刕□〜□中野村 / 奉供養庚申講中為二世安樂 / 種子〈ウーン〉」


f:id:nagatorowo2:20231214185736j:image如意輪観音塔(如意輪観音像塔)

刻銘「元禄十丁丑年十一月廿八日(1697) / 奉供養如意輪観音講中爲二世安樂也 / 施主鈴木某同行□人 / 種子〈サク?〉」

おまけf:id:nagatorowo2:20231214192050j:image境内にいた三毛猫

天神北野神社の所在地