石仏石神を求めて

おもに石仏・石神などの石造物を探訪

お七地蔵と庚申塔(大田区大森北3丁目・密厳院)

東京都大田区大森北3丁目の密厳院(訪問日:2023年11月11日)f:id:nagatorowo2:20231216233715j:image酉の市の喧騒から離れた場所に位置する真言宗寺院です。
f:id:nagatorowo2:20231216233719j:image山号八幡山」扁額
f:id:nagatorowo2:20231216233723j:image山門の前には2種の解説板が設けられています。

解説板① 大田区文化財
地蔵菩薩立像
(俗称お七地蔵)
 この地蔵は、江戸大火(天和二年(一六八二)十二月二十八日)を引き起こした、八百屋お七の霊を慰めるため建立されたと伝えられている。
 この事件は当時、井原西鶴の「好色五人女」に描かれ、その後も浄瑠璃などで人々に親しまれた。
 お七の刑死は天和三年(一六八三)三月二十九日で、台石銘文の貞享二年(一六八五)四月二十四日はその三回忌にあたる。
 建立者は小石川村百万遍念仏講中。本像はもと鈴ヶ森刑場に建てられていたが、ある日一夜にして当時に飛来したという伝説がある。
昭和四十九年二月二日指定
大田区教育委員会

※「当時」は「当地」の誤植と思われます。
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解説板② 大田区文化財
庚申供養塔
 石造舟型で、阿弥陀如来像を彫った庚申供養塔としては、時代的にも古いものに属し、造型的にもすぐれたものである。
 大きな光背には庚待供養のためにつくられた趣意と、その造立年月が記されている。
 この塔は寛文二年(一六六二)のもので、庚申塔として本区では二番目に古い。
 また、本塔のように法界定印を結ぶ弥陀の坐像を彫った庚申供養塔は、全国的にも稀といえよう。
昭和四十九年二月二日指定
大田区教育委員会


f:id:nagatorowo2:20231216233753j:image山門をくぐったすぐ左手に無縁仏があります。
f:id:nagatorowo2:20231216233730j:imageその横には「無限寿楽塚」と刻んだ石塔が建っています。老人クラブの方々による造立のようです。
f:id:nagatorowo2:20231216233734j:image境内を見回すと「南無地蔵菩薩」の幟が立っており、そこには立派な覆屋を伴って3基の石仏が並んでいます。向かって左から紹介します。
f:id:nagatorowo2:20231216233712j:image阿弥陀如来庚申塔(坐像)

刻銘「寛文二壬寅霜月大吉日(1662) / 奉修庚待供養所」f:id:nagatorowo2:20231216233738j:image御尊容


f:id:nagatorowo2:20231216233741j:imageお七地蔵(地蔵菩薩塔、丸彫地蔵菩薩立像塔)

刻銘「貞享二年四月二十四日(1685)」f:id:nagatorowo2:20231216233745j:image御尊容


f:id:nagatorowo2:20231216233749j:image墓塔。宝永六年銘(1709)。

密厳院の所在地