石仏石神を求めて

おもに石仏・石神などの石造物を探訪

庚申塔2基(府中市住吉町1丁目・西向庚申塔)

東京都府中市住吉町1丁目の西向庚申塔(訪問日:2023年12月16日)f:id:nagatorowo2:20240117180642j:image中河原駅のライフ脇に庚申堂があります。中河原駅バスターミナル前に突如現れる少し異質な空間となっています。f:id:nagatorowo2:20240117180631j:image由来碑も設けられています。

由来碑 庚申塔由来
 庚申信仰は、中国道教の祭典であり、その源が三尸説であるといわれている。庚申の夜に三尸虫という虫が、人の寝ている間に密かに昇天し、天上の至高神にその人の罪過を告げるというので、この夜は眠らず三尸虫に逃げ出す機会をあたえないようにする風習である。これが日本にも伝えられ、平安時代宮中公家の間で広まり、庚申の夜に酒宴を行って夜を更した。鎌倉時代以降武家の間でも「守庚申」などといって行事が行われ、その後、室町時代の後期ごろからは庶民にも広まり、仏教的な儀礼が営まれ、供養塔も建てられるようになった。
 供養塔は時代の初めには文字塔や仏菩薩を主尊としたが、やがて青面金剛性像が多くなり元禄の頃には主尊の地位を確保するようになった。
 古来、庚申様はおそろしい神、たたる神、それだけに利生あらたかとされ、諸病の平癒を祈り、村内安全、五穀豊饒や二世安楽を願った。
 庚申とは方位でいうと西南西の位置を示し、お社の向きもこれに習うものだが、中河原の庚申様は真西を向いており非常に希なものであり、なぜ真西向きなのかは不明である。

 

f:id:nagatorowo2:20240117180634j:image鳥居をくぐった左手にある西向庚申移転記念碑。髙野準一書。堂は平成七年二月吉日(1995)に当地へ移転したようです。f:id:nagatorowo2:20240117180638j:image右手には鳥居供養記念塔。f:id:nagatorowo2:20240117180705j:image庚申堂。目新しい立派な注連縄が架けられています。f:id:nagatorowo2:20240117180646j:image「西向庚申塔」扁額。平成七年十二月吉日(1995)に西向庚申奉賛会による奉納。f:id:nagatorowo2:20240117180701j:image堂の内部には2基の庚申塔が祀られています。右の像塔から紹介します。
f:id:nagatorowo2:20240117180650j:image菩薩像庚申塔

刻銘「正徳六丙申年三月吉日(1716) / 奉供養庚申 / 同行十一人」f:id:nagatorowo2:20240117180654j:image御尊容。恐らく菩薩像ですが尊名までは分かりませんでした。


f:id:nagatorowo2:20240117180658j:image文字庚申塔


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刻銘「文化元甲子二月□〜□(1804) / 三組講中 / 三疋猿 / 庚申供養」

西向庚申塔の所在地