石仏石神を求めて

おもに石仏・石神などの石造物を探訪

青面金剛像庚申塔と庚申供養塔ほか(足立区千住曙町・西光院)

東京都足立区千住曙町の牛田薬師西光院(千葉山薬師寺)(探訪日:2023年8月17日)

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f:id:nagatorowo2:20230818143151j:image門を入ってすぐのところに石仏石塔が並んでいます。
f:id:nagatorowo2:20230818143155j:image正面向かって右から紹介します。


f:id:nagatorowo2:20230818143158j:image庚申青面金剛


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刻銘「文化八辛未年十一月八日(1811) / 講中

 

f:id:nagatorowo2:20230818143503j:image庚申供養塔

刻銘「正保三年丙戌拾月六日(1646) / □(爲?)結衆等毎年六度之待庚申祈現後二世悉地成就所也敬白 / 三密六大盡力内證輪円具足法界有情之覺躰也 / 種子〈アーンク〉」

f:id:nagatorowo2:20230818143456j:image蓮華像


f:id:nagatorowo2:20230818143506j:image青面金剛庚申塔

刻銘「延宝貮甲寅年霜月廿二日(1674) / 爲庚申供養二世安樂之造立 / 種子〈アーンク〉」
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f:id:nagatorowo2:20230818143523j:image童子
f:id:nagatorowo2:20230818143526j:image棒(御幣?)を持つ一猿と向かい合う一鶏

f:id:nagatorowo2:20230818143510j:image八十八ヶ所第八十二番西光院


f:id:nagatorowo2:20230818143513j:image三猿像が彫られた石造手水鉢もありました。

実はこれも庚申供養を目的に建てられたもので、非常に珍しいものです。


f:id:nagatorowo2:20230818143516j:image石造庚申供養手水鉢f:id:nagatorowo2:20230818143520j:image刻銘「天和三年癸亥九月吉祥日(1683) / 奉庚待供養石鉢一ヶ造立者也 / 施主敬白 / 西光院宥尊」

 

f:id:nagatorowo2:20230818171916j:image境内には他に足立区の登録有形文化財「石出常軒の碑」があります。
f:id:nagatorowo2:20230818171912j:imageこちらには解説板が建てられています。

解説板 石出常軒の碑
千住曙町二七ー一 西光院
 石出帯刀吉深は、江戸町奉行配下の断獄令(牢屋奉行)で、明暦三年(一六五七)一月の、いわゆる振袖火事で江戸市中が火の海と化した折、小伝馬町の牢屋から囚人を一時切放(解放)して避難させ人命を救った。以後この切放は慣例となり、日本行刑監獄史上、特記される人物である。
 また、役職とは別に、朱子学や忌部神道を学び、国学に傾倒して和歌・連歌で名をなし多くの作品を残した。晩年関屋の里に隠棲してからは常軒と号し、病弱を押して源氏物語全巻の注
釈全書『窺源抄』六十二巻を完成させ、元禄二年(一六八九)三月、七十五歳で没した。
 西光院墓地にある「石出常軒法名日念碑」は長男師深が父の事績を書き残した碑で、かなり風化しているが、一部は『新編武蔵風土記稿』にも記録されている。昭和五十七年十二月区登録有形文化財(歴史資料)とした。
平成五年三月
東京都足立区教育委員会

 

f:id:nagatorowo2:20230818171919j:image石出常軒の碑

西光院の所在地