石仏石神を求めて

おもに石仏・石神などの石造物を探訪

庚申塔と天明飢饉供養塔2基(弘前市西茂森1丁目・長勝寺)(津軽地方の天明飢饉供養塔 #25)

青森県弘前市西茂森1丁目の長勝寺(訪問日:2023年9月1日)f:id:nagatorowo2:20231201190245j:image長勝寺三門。国指定重要文化財です。
f:id:nagatorowo2:20231201190248j:image御影堂から墓地へ続く道を進むと、右手に石造物の並ぶエリアがあります。
f:id:nagatorowo2:20231201190252j:image文字庚申塔。墓地の手前、六地蔵脇にあります。津軽ではほかに例を見ない特殊な庚申塔です。f:id:nagatorowo2:20231201190241j:image刻銘「昭和五十五年十二月庚申の日(1980) / 大正庚申に生まれた私が庚申信仰を研究し津軽一円の庚申塔を調査すること一六五〇基に及んだ / 長勝四十一世 掃天喚月 願主 小舘衷三 施工 石岡義徳 / 庚申」

私の所属する青森県文化財保護協会の大先輩である故・小舘衷三氏が発願し建てられた庚申塔です。本塔を建てた当時、氏は主として津軽地方の庚申塔の悉皆調査および信仰内容の採録など、のちの石仏愛好者や歴史研究者にとって大きな足掛かりとなる研究を生涯にわたり続けました。

私もその例外ではなく、氏の著書に惹かれ、各地の石造物に興味を持った一人です。

本題に戻ります。

境内墓地の中途には経典供養塔が2基あります。どちらも飢饉供養塔を兼ねます。

f:id:nagatorowo2:20231201192716j:image天明飢饉供養塔(大乗妙典一千部供養塔)①


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刻銘「惟時天明七丁未天六月六日圓満(1787) / 當寺二十五代無外了禅叟造立 / 千部妙経讀誦功宝車重轉疾於風鑊湯爐炭刹那滅釼樹刀山直下空 / 華落蓮成一実相因圓杲満如宗存亡平等皆歓喜都在毫光三昧中 / 御郡内爲死亡合山清衆於當山聚来之上三七日 千部供養塔」

f:id:nagatorowo2:20231201192712j:image天明飢饉供養塔(大乗妙典一千部供養塔)②


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刻銘「維時天保三壬辰年六月十六日満散(1832) / 當山二十三世祖山仙宗叟誌焉 / 國恩無極厥侔昊天彼顧命誦此妙詮應世懐本法界輪圓情非情等覺不覺然出思議表超度量邊 / 功力積大冥資成全營浮屠立為銘諱鐫纔投一禮忽離十纒現當巨益見聞勝縁熱鑊之裏露灑青蓮 / 當三郡為夘辰両歳死亡五十回追薦闔國雲衆就當山聚来之上二七日」

①と②は天明大飢饉の年忌法要としてそれぞれ建てられており、前者は3回忌、後者は50回忌に相当する年の建立と考えられています。

また、長勝寺天明四年(1784) 、津軽藩津軽信明より飢饉に起因する餓死者供養の命を下されており、その折に造塔された可能性が高いと見られています。

長勝寺の所在地