石仏石神を求めて

おもに石仏・石神などの石造物を探訪

庚申塔と念仏供養塔(杉並区上井草2丁目)

東京都杉並区上井草2丁目(訪問日:2023年11月18日)f:id:nagatorowo2:20240107010701j:image上井草グリーンハイツの入り口脇に堂宇が建っており、中には石仏2基が納められています。向かって左から紹介します。
f:id:nagatorowo2:20240107010642j:image青面金剛庚申塔(一面六臂)

刻銘「享保七壬寅十月吉日(1722) / 武刕多摩郡遅野井村同行廿二人 願主山口武左衛門 / 奉供養庚申」f:id:nagatorowo2:20240107010657j:image御尊容f:id:nagatorowo2:20240107010653j:image邪鬼像f:id:nagatorowo2:20240107010649j:image三猿像


f:id:nagatorowo2:20240107010646j:image念仏供養塔(丸彫聖観音菩薩像念仏供養塔)


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刻銘「寛延二己巳十一月十五日(1749) / 武刕多摩郡遅野井村 講中二十一人 願主渡邊賀右門 同山口治良兵衛」

f:id:nagatorowo2:20240107011737j:image堂の前には解説板も設けられていました。

解説板 民間信仰石造物
 ここに建っている石造物は聖観音立像と、青面金剛立像が彫られた庚申塔です。いずれも、かつては現在地よりやや西方の道沿いにありましたが、区画整理のため、大正十二(一九二三)年に、この場所へ移されたものです。
 向って右側の聖観音立像は、寛延二(一七四九)年十一月十五日の造立で、昔も今も変わることなく西を向いており、「富士向観音」の名で親しまれてきました。観音は現世利益を本願とし、種々の相に身を変えて衆生の悩みを救済してくれると言われ、広く信仰されました。聖観音は、観音の中でも多く造られ、この石造物もまた、念仏講と思われる講中によって造立されたものです。
 左側の庚申塔庚申信仰の講碑で、享保七(一七二二)年十月吉日の造立です。庚申信仰は、六十日に一度巡ってくる庚申の夜、眠っている間に体内の三尸の虫(人の体内に潜み害悪をなすとされる三匹の虫)が、その人の罪を天帝に告げて寿命を短くするため、その夜は徹夜をすべきという道教説に由来すると言われています。庚申講の信仰活動の中心は、夜にいわゆる庚申待をすることでした。庚申塔は、講の成立や行事の成就などの際に供養として造られることが多かったと言われ、この塔も講中の人々が、そうした折に造立したものと思われます。
 なお、二つの石造物の銘文にある「遅野井村」は、上井草村の別称です。また「講中二十一人」「同行廿二人」という数字からは、造立に関わった講の規模がうかがえます。
 これらの石造物は、かつての上井草村における民間信仰の様相を今に伝える貴重な文化財です。
令和五年三月
杉並区教育委員会

 

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