石仏石神を求めて

おもに石仏・石神などの石造物を探訪

庚申塔と道標ほか(厚木市山際・路傍)

神奈川県厚木市山際の路傍(訪問日:2024年2月9日)f:id:nagatorowo2:20240214153231j:image中平自治会館のそばに石仏石塔が群になって並んでいます。f:id:nagatorowo2:20240214153204j:imageまずは左側の比較的塔高のある2基から。双方には解説付きの看板が伴います。
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解説板① 不動明王座像道標
 この道標は江戸中期以降盛んとなった大山詣りの参拝者に大山道の案内と道中の無事を願い建立されたものだ。
 石塔上部の不動明王座像は大山詣りの目的地吹山寺本尊の鉄鋳のいかめしい不動明王像を模したものである。
碑文から天保九年六月、相州愛甲郡山際村原邨講中により建立されたことが判る。
 高さ二五八cmは市内最大である。大山道は西へ進み八王子道に合流、南下し関口村境で右折し長坂、三田の渡し、荻野新宿へ続く。
 東方は坂を下り水間地をぬけ猿ヶ島渡船場に至り川を渡ると磯部、相模原台地を横切り、木曽、小野路、多摩丘陵、府中に続く。

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解説板② 庚申塔
 暦法の六十日ごとに巡ってくる庚申の日に徹夜して眠らずに身を慎しめば延命長寿になるという民間信仰がありました。
 村の講中の仲間が徹夜で酒食を取ることから村民の連帯が深まり、塔の建立につながった。
 仏教的な庚申信仰青面金剛又は帝釈天を本尊とし、神道では猿田彦大神を本尊とし、庚申の申から本尊の神使いは猿とされ、塔には三猿(見ざる、聞ざる、云わざる)が刻まれることが多い。
 ここの庚申塔は、唐破風付笠塔で台石には三猿を刻んでおり、書体も芸術的である。
建立年 万延元年庚申年
建立者 山際邨原講中


f:id:nagatorowo2:20240214153223j:image道標(不動明王坐像載道標)


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刻銘「天保九戊戌年六月(1838) / 相州愛甲郡山際村 原邨講中 / 不動明王」「右 大山道 厚木道 / 左 猿ヶ島村渡船場道」※参考にした資料:https://www.city.atsugi.kanagawa.jp/material/files/group/74/anani1.pdf、2024年2月14日閲覧f:id:nagatorowo2:20240214153226j:image御尊容。覆屋は昭和五十七年に寄進されたもの。


f:id:nagatorowo2:20240214153219j:image文字庚申塔


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刻銘「萬延元庚申天中冬上浣建焉(1860) / 山際邨原講中 / 庚申」f:id:nagatorowo2:20240214153215j:image三猿像。いずれも猿も装束を身にまとっています。中央の烏帽子を冠した猿は肩に棒(御幣?)を担ぎ、口を扇子で覆った愉快な姿です。
f:id:nagatorowo2:20240214153200j:image庚申塔の右側には馬頭観音塔群。f:id:nagatorowo2:20240214153212j:image写真で確認する限りでは全て明治から昭和にかけて建てられたもののようです。f:id:nagatorowo2:20240214153208j:image1番右端の馬頭観音塔は「馬頭観世音」の刻字を2行刻んでいます。

所在地