石仏石神を求めて

おもに石仏・石神などの石造物を探訪

無形民俗文化財「須賀神社の湯花神事」

今週のお題「まつり」

東京都世田谷区喜多見4丁目の須賀神社(訪問日:2024年8月2日)f:id:nagatorowo2:20240807210511j:imageお祭り気分を味わいたい。そう思い立って子どもの頃に行きそびれたまま放置していた神社を訪問。たしか夕方の6時ごろだったと思います。

この神社は都内では珍しい湯立を行うことで知られています。f:id:nagatorowo2:20240807210750j:image

解説板 世田谷区指定無形民俗文化財
須賀神社の湯花神
伝承地 世田谷区喜多見四丁目三番二十三号 須賀神社
保持者 世田谷区喜多見四丁目三番二十三号 宗教法人須賀神社
指定 昭和六十二年三月二十五日
 須賀神社は、承応年間(一六五二~一六五四)に喜多見久大夫重勝が喜多見館内の庭園に勧請したのが始まりといわれ、近郊では「天王様」とよばれ親しまれている。
 湯花神事 (湯立)は、例大祭の八月二日にとり行われる。社殿前に大釜を据えて湯を沸かし、笹の葉で湯を周りに振りかける行事である。この湯がかかると一年間病気をしないといわれ、今日も広く信仰を集めている。
 湯花神事は浄め祓いの行事になっているが、湯立によって占いや託宣を行うのが本来の姿であり、神意を問うことであった。
 素朴で普遍的な神事であったが、当区では唯一となり、都内でも数少ない行事となった。
平成十三年七月
世田谷区教育委員会


f:id:nagatorowo2:20240807210559j:imageJA東京中央協賛のもと、夏祭り定番の焼きそばやかき氷が境内で提供されていました。前者は300円、後者は200円と今としてはかなり安めの価格です。お祭り価格とはいえこの倍以上で売る屋台も珍しくない中、地元の子どもたちの財布事情に配慮していていいと思いました。f:id:nagatorowo2:20240807210507j:image囃子連。前日の宵宮には盛大に演奏していたとのこと(氏子さん談)。聴いてみたかったです。f:id:nagatorowo2:20240807210545j:image町内会・講中の方々は談笑中。地区内での話題に花を咲かせていました。f:id:nagatorowo2:20240807210608j:image火を焚く前の大釜。四方に小さい竹を設け、それに幣束を垂らした注連縄をめぐらしています。f:id:nagatorowo2:20240807210630j:image大釜は三本の竹で支えられています。f:id:nagatorowo2:20240807210520j:image舞台脇の協賛・奉納金を納めた企業や個人を記した掲示。このあたりはやはり石井姓が多いようです。f:id:nagatorowo2:20240807210640j:image氏子さんから頂いたパンフレット。今では口頭でこの祭りを説明できる人も少ないから、これを配っているとのこと。

内容 須賀神社略記
江戸氏代々の守護神天王様
鎮座 東京都世田谷区喜多見四丁目三番二十三号
祭神 素盞嗚尊 菅原道真
祭儀 八月一日午後四時 宵宮講中はやし奉納 八月二日午後三時 大祭式典神前舞奉納
六時 神賑い奉納 八時 湯花神
由緒 当神社は天王様と一般に称せられ八月二日にお祭をしています。この神様は素盞嗚尊と菅原道真公をおまつりしてあります。素盞嗚尊の御神徳は、八岐大蛇を退治し、恐しさ、こわさ、疫病などの災難をはらいのぞき、美しき姫、櫛稲田姫命をめとり、人々に清々しく睦まじく強く生活することを教え広めた神様です。
菅原道真公は一般に天神様として崇敬されて来ました。和漢の学識が高く書道にすぐれ梅花を愛し、幼い頃より学問に励み、和歌の道にすぐれていました。学に志す幼い子の信仰をあつめました。
このお社のあるところを通称天神森と呼んでおり、砧村時代の字名は陣屋である。お社は小高い塚の上に鎮座し天王様として信仰されその後承応年間(一六五四)三三〇年前喜多見久太夫重勝(江戸氏)が歌枕天神として小祠を建立相殿し以後は厄除・学問の天王様として遠近の村々から崇敬され今日に至っています。
花神
社殿前の神木ムクの木の根元近くに大釜が据えられ、四方に笹竹を立て注連縄を張り世話人が麦稈に火をつけ大釜の湯を沸かします。神官が祈祷を行い、火と湯を浄め、笹の葉に湯をつけ四方にまきお祓いを行う。湯がかかると一年間病気をしないと云う厄払いの神事である。この神事は都内でも数少ないので世田谷区の無形文化財の指定を受けた。
ムクの木
目通三米七三糧樹令約四〇〇年位
この神木には、「コノハズク」、東南アジアからの渡り鳥で毎年六月頃、飛来し雛をかえし、八月頃帰ります。世田谷区より名木百選の指定を受けました。又直経六十五糎の、「サルノコシカケ」、が社有されているので、大きなケヤ木やムクの木が存在していたことが忍ばれます。
須賀神社遷宮寄附連名板 大正四年十月講中奉納
この連名板によると講中は、喜多見講のほか、大蔵本村講大蔵横根講大蔵山谷講大蔵石井戸講宇奈根講鎌田講狛江村駒井講狛江村猪方講狛江村覚東講狛江村和泉講玉川村用賀講玉川村瀬田講千歳村祖師谷講神代村入間講世田谷村宇山講三鷹村下仙川講稲田村堰講稲田村宿河原講岡本講などの講名が判読できます。現在の講員は六七〇名に及びます。
手水石 元治甲子年六月神
願主当社祭礼講中の銘が刻んである。
大太鼓 明治廿五年八月二日奉納
旧鳥居 嘉永四年亥十一月吉日奉納
お初 御神紋にちなんで近所の農家より瓜の初物が奉納されます。

 

f:id:nagatorowo2:20240807210458j:image芸人さんや地区の団体などが舞台上で催し物をしています。楽器の演奏や舞、漫才など様々でした。f:id:nagatorowo2:20240807210648j:image喜多見楽友会」提灯f:id:nagatorowo2:20240807210455j:image講中席を背後から撮影。f:id:nagatorowo2:20240807210535j:image司会とJAの方々。暗くなってきてそろそろ神事が始まりますよー。的なことを言ってました。
f:id:nagatorowo2:20240807210526j:image午後8時。いよいよ湯花神事の始まりです。f:id:nagatorowo2:20240807210645j:image社殿にかけられた提灯には「寶献御奉前」の墨書が認められます。f:id:nagatorowo2:20240807210542j:image神職の方が社殿前に集まってきました。f:id:nagatorowo2:20240807210514j:image講中ならびに町内会の面々にご挨拶。f:id:nagatorowo2:20240807210523j:image神社の建つ塚の周りに祭礼を見ようとする人々が集まってきました。f:id:nagatorowo2:20240807210504j:image釜の脇に世話人のIさんが腰を下ろして待機しています。f:id:nagatorowo2:20240807210657j:image深揖。f:id:nagatorowo2:20240807210617j:image神事の開始です。 以降、動画撮影に専念したので下掲の動画をご覧ください。火の燃え盛る光景は圧巻でした。

湯立の様子


f:id:nagatorowo2:20240807210529j:imageお祭りののち、神職が本殿に向かって祝詞を奏上します。その後ろ姿は名状し難いかっこよさでした。
f:id:nagatorowo2:20240807210532j:imageその後、笹の葉が希望者に配られました。f:id:nagatorowo2:20240807210651j:image私も謹んで拝受。現在も家に飾ってあります。
f:id:nagatorowo2:20240807210637j:imageいただいた笹の葉を湯に浸し、その湯を自分にふりかけます。学問成就と無病息災にご利益があるとのこと。

氏子さんは、「道真さまのご利益で天才になれるよ」的なことを仰っていました。
f:id:nagatorowo2:20240807210501j:image老若男女がこぞって湯を浴びに行っていました。
f:id:nagatorowo2:20240807210633j:image社殿の向かって右側の奥に切り株があり、その上に今回使われたと思しき笹が置かれていました。f:id:nagatorowo2:20240807210654j:image社殿内の御神饌。シトギ(粢)をはじめ当地で獲れた作物(確認できる範囲ではナス、白ナス、メロン、スイカ、かぼちゃ、えだまめ、瓜系の何か)や御神酒があげられていました。私はこういった神饌について大変興味があるので勉強になります。f:id:nagatorowo2:20240807210614j:imageさあさあお開きだ、ということで各々解散となりました。ただ実行委員の方々は残って作業をしていました。f:id:nagatorowo2:20240807210548j:image機会があればまた来年も来たいと思います。

須賀神社の所在地