石仏石神を求めて

おもに石仏・石神などの石造物を探訪

庚申山円道寺 庚申霊場めぐり #1

愛知県名古屋市緑区鳴海町字根古屋の円道寺(訪問日:2024年8月9日)f:id:nagatorowo2:20240821103409j:image名鉄鳴海駅から鳴海街道を北上するとゆるやかな坂に差し当たります。こちらは通称「庚申坂」と呼ばれています。上がりきったところに円道寺という仏教寺院があります。

円道寺さんは現在でも庚申講を行っている、全国的に見ても稀有なお寺さんです。f:id:nagatorowo2:20240821103456j:image坂の中途、聖観世音菩薩堂のそばに「庚申坂(こうしんざか)」と文字を刻んだ標石がありました。駒型に整形され、日天月天および三猿の像が線彫りしてあるので、一般的な文字庚申塔が壁に埋め込まれているように見えます。f:id:nagatorowo2:20240821103543j:imageさらに坂を上がっていくと「奉納 青面金剛明王 願主〇〇」とプリントされた幟がいくつも立ち並んでいました。円道寺まではもうすぐです。f:id:nagatorowo2:20240821103431j:image幟が途切れたところで寺の山門に辿り着きました。手すり付きの石段をのぼります。
その前に、山門そばに掲示された解説板がありましたので、そちらも紹介します。他所の庚申信仰を記した由来書などよりもかなり詳細な記述です。f:id:nagatorowo2:20240821103434j:image

解説板 庚申山圓道寺
当山は昔から盛んに行われた庚申行事にもとづく曹洞宗の尼寺院です。
この地は東海道五十三次鳴海宿の高札場より北へ通称、庚申坂を上った所で鳴海城址下になります。
今から四百年余り前の天正年間に仁甫良義和尚(瑞泉寺十一世)によって開創されました。はじめ猿堂寺と号し、その後宝歴七年には地蔵寺、安永三年に庚申堂と変遷し、昭和十七年に庚申山圓道寺と定められました。
ご本尊は青面金剛尊(庚申さま)です。
本堂の屋根にはその使わしめの三猿像
(見ざる・言わざる・聞かざる)が据えられています。
庚申行事
庚申信仰奈良時代末期に中国から伝えられ始めは宮中で行われていましたが、室町時代には庶民のあいだにもひろまりました。
庚申とは暦の十干「庚」(かのえ)と十二支の「申」(さる)の組み合わせの日や歳のことで庚申の日は六十日ごとに回ってきます。年に六回巡って来て六十年目に申の歳がやってきます。
庚申縁起には「人の体内に潜む三尸(さんし)の虫が庚申の日に人の睡眠中に昇天して、天帝にその人の行状を告げることによって人の健康や寿命などの運命を定める。」と記されています。その日には三尸虫が出ないように眠らずに慎むことが行われていました。それを守り庚申といいます。江戸時代には全国各地に庚申講という集まりが出来て、夜を徹して語り明かす風習が広まりました。のちには飲食をともにしながら人々の親睦をより深めることになったようです。
当寺も庚申の宵に庚申行事を行っています。
寺の沿革
宗派 曹洞宗大本山永平寺総持寺
本尊 青面金剛明王
御前立 十一面観世音菩薩
開創 天正年間(一五七三ー一五九二)
草創開山 仁甫良義大和尚(本寺瑞泉寺十一世)
重興 呑舟透鱗大和尚(本寺瑞泉寺二十世)
再中興 聞渓徹音尼和尚(庚申堂第一代)
寺号開山 道本密成大和尚(本寺瑞泉寺三十一世)
法地開山 無外大仙大和尚(本寺瑞泉寺三十三世)
庚申行事
庚申講は各庚申の日夜八時より本堂にて、尼除け諸願成就の祈祷
庚申真言
「おんこーしんれい こーしんれい まいたれや そわか」

※宝歴=宝暦
f:id:nagatorowo2:20240821103514j:image可愛らしい不見猿・不言猿・不聞猿も描かれています。f:id:nagatorowo2:20240821103507j:image山門右脇の寺号標。「曹洞宗庚申山圓道寺」と金文字で揮毫。f:id:nagatorowo2:20240821103459j:imageその手前に傘付きのくくり猿の一連。5匹吊るされており、上から下にかけてマトリョーシカの如くだんだんと小さい個体になっています。f:id:nagatorowo2:20240821103503j:image山門軒下には松の木の下で腰掛ける三猿を彫った額があります。腕のある彫刻家の作と思われます。f:id:nagatorowo2:20240821103445j:image山門をくぐるとすぐ右手には本堂があります。大変立派な建物です。f:id:nagatorowo2:20240821103424j:image本堂正面。先ほどと同じタイプのくくり猿が一対で吊るされています。こちらの方が全体的にやや大きめです。f:id:nagatorowo2:20240821103535j:image「庚申山」扁額。揮毫者と思しき文字も見えますが、達筆すぎて「宇宙・・省・・」以外読み取れません。f:id:nagatorowo2:20240821103522j:image本堂の向かって左側には青面金剛庚申塔が置かれています。
f:id:nagatorowo2:20240821103539j:imageこの庚申塔は以前の記事で掲載しました。

▼以前の記事

nagatorowo2.hatenablog.com


f:id:nagatorowo2:20240821103438j:imageそばの看板には「青面金剛明王(庚申さま)」と記されています。f:id:nagatorowo2:20240821103414j:image塔の右脇にはくくり猿塚があります。あるのが当たり前のように述べましたが、私自身、初めて見ました。

看板によると「願いのかなったお守りを入れてください。賽銭は、本堂正面の小窓から入れてください。」だそうです。


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塔の左脇の石灯籠は享保六年銘(1721)。庚申御寶前とも刻まれています。他にも影になってはっきりとはしませんが下野風・・と刻まれているような気もします。f:id:nagatorowo2:20240821103448j:imageくくり猿塚、青面金剛庚申塔、石灯籠を覆うように茂っていたサルスベリの木。猿に因んだ縁起物として植えられたのでしょうか。

庚申霊場だとよく見かける樹木です。f:id:nagatorowo2:20240821103529j:image本堂前の常香炉。線香を3本立ててくださいとのことだったので、そのとおりにお参りしました。f:id:nagatorowo2:20240821103518j:image境内隅には多数の絵馬が掲げられていました。
f:id:nagatorowo2:20240821103511j:image絵柄は不見猿不言猿不聞猿の三猿。可愛らしいニホンザルを模しているようです。また、いずれの絵馬にも「」の文字が確認できたのですが、これはなんなのでしょう。
f:id:nagatorowo2:20240821103427j:image本堂遠景。フルサイズでもこれが限界です。上掲の解説板にも記されていました、本堂の屋根の三猿が青い空に映えます。

当時の私は暑さにやられてしまい、個々の猿像を撮るのを忘れてしまったようです。再訪の機会があればリベンジしたいです。

お寺の公式ホームページには高画質の写真が掲載されているので、そちらをご覧ください。
f:id:nagatorowo2:20240821103452j:image歴代住職墓の手前には弘法堂と秋葉堂。f:id:nagatorowo2:20240821103547j:image前者には弘法大師の坐像のほか、お地蔵さんや観音さまなどの石仏群が祀られています。f:id:nagatorowo2:20240821103420j:image両堂の間に置かれた瓦。平成5年の道路拡張に伴う工事でお寺の全面改修が行われたらしいので、これらは昔の本堂に載せられていたものではないかと思います。
f:id:nagatorowo2:20240821103525j:imageお参りを終え、庚申坂へ戻り花井交差点方面へやや進むと当寺の庚申参りと写経の会についてのポスターが掲示されてありました。どちらも気合いの入った素晴らしいデザインです。f:id:nagatorowo2:20240821103417j:image私も庚申の日にお参りしたいのですが、私も庚申講を催している身のため、また、東京在住ということもあって遠方の当日に遠方の庚申行事の参加は難しいのです。

大都市名古屋で行われているので朝早く新幹線で向かい、参加した後にとんぼ返りすれば間に合わないこともないですが、やはり厳しいものがあります。

でも行きたい。講のあとに振舞われる庚申だんごもいただいてみたい。住職さんから色んな話を伺いたい。そんな葛藤に苛まれています。

円道寺の所在地