青森県青森市浪岡大字女鹿沢字平野の共同墓地(訪問日:2023年9月7日)墓地の中央部、多くの無縁仏のまとめられたところに津軽地方では数少ない回国塔が紛れています。
六十六部廻国供養塔
刻銘「嘉永四辛亥歳十月三日(1851) / 備前國出俗名寅吉 / 玉林明光居士廻國御同行衆中」
櫛形角柱型
本塔は『浪岡町史 別巻II』に「廻國御同行衆の墓」として記載されており、
(中略)
江戸時代には、廻国の途中、村の堂庵に定住することもあり、村人に勧進して立てたのが、「大乗妙典六十六部廻国供養塔」などと刻された石碑である。町内では、北中野・西光院境内にあるが、風化が激しく刻字が読み取りにくい(本書二七九頁)。六部が行き倒れた場所につくられたのは、「六部塚」というのだが、この「寅吉」のような場合は何というのであろうか。
前の円心の石塔を建立したのも、六部という。この某氏は諸国巡歴の途中病を得て、薬王庵に数年滞在したが、その間橋の架け替えや道路の修繕、細民の窮を救うなど隠徳を積んだが、薬石の効なく逝去したという(葛西覽造編『女鹿澤村誌』昭和十五年〈一九四〇〉より)。浪岡町史 別巻II 150頁
との由来が記されています。
調べてみたところ、廻国供養塔データベースにも登録されていました。
共同墓地の所在地