石仏石神を求めて

おもに石仏・石神などの石造物を探訪

伝・天明飢饉供養塔(弘前市鳥井野・路傍)(津軽地方の天明飢饉供養塔 #49)

青森県弘前市鳥井野字長田の路傍(訪問日:2022年9月28日)f:id:nagatorowo2:20240712122203j:image鳥井野バス停と派立南口バス停の間の道端に駒越消防組第一部創立廿週年紀年碑が置かれています。f:id:nagatorowo2:20240712122157j:imageそのそばにはガードレールにもたれかかる形で石塔が置かれています。実はこちらは飢饉供養塔で、資料中に「天明の大飢饉で落命した村人を弔うため建てられた」との説明がなされています。
f:id:nagatorowo2:20240712122200j:image天明飢饉供養塔

刻銘「寛政八辰年丙二月吉日(1796) / 村中 / 南無阿彌陀佛」

自然石型、彫像(円相、蓮華)

銘文に「卯辰」銘や疫病・飢渇により死亡した者の供養塔であることを示す文句は刻まれておらず、飢饉供養塔と断定できません。造立趣旨は完全に口碑によるものです。

しかし、大字一町田所在の飢饉供養塔と伝わる石塔*1と同じく六字名号を主銘に据え、且つ円相と蓮華の像が線刻されている点で共通しています。

加えて、寛政八年は十三回忌に相当する年で、津軽一円に分布する飢饉供養塔にも同年号が刻まれている例*2が複数存在することからも、本塔が飢饉供養塔であると推察できます。

▼*1の記事nagatorowo2.hatenablog.com

▼*2の記事nagatorowo2.hatenablog.com

今回のような餓死供養塔は気づかれていないだけでまだまだ沢山残されていると思います。私の知る限り、東北地方では青森県宮城県でのみこのような供養塔の悉皆調査が行われているため、東北一円を隅々まで調べあげていく必要性があります。

在野の人間でも後世の研究に寄与できれば、飢饉で亡くなった人々に対する一つの弔いともなるでしょう。

所在地