石仏石神を求めて

おもに石仏・石神などの石造物を探訪

東京都23区の庚申塔 #165(北区赤羽台4丁目・赤羽八幡神社)

東京都北区赤羽台4丁目の赤羽八幡神社(訪問日:2024年2月2日)f:id:nagatorowo2:20240305180050j:image社殿の左側、境内社がまとまって鎮座しているエリアがあります。f:id:nagatorowo2:20240305180054j:imageその中に計4基の庚申塔が社殿改築記念碑とともに置かれています。これらは最近になって当神社に移設されたらしく、敷き詰められた小石はまだ新しめです。
解説板もありました。f:id:nagatorowo2:20240305180044j:image

解説板 猿田彦庚申塔
 猿田彦日本書紀天照大御神に遣わされた瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を道案内した国津神として記載されていたことから道の神、旅人の神として祀られ、近世期には庚申塔に多く彫られるようになりました。
 旧板橋街道近辺(現在の区道 北一五五五号線付近)には庚申信仰の本尊として青面金剛が彫られた庚申塔のほか猿田彦神が彫られた庚申塔が江戸時代から多く設置されていましたが、明治時代から大正時代にかけて、旧板橋街道を含む一帯に陸軍被服本廠が設置されると、本廠周辺にあった庚申塔は本廠敷地内に集約されました。
 戦後、被服本廠の敷地は進駐軍による接収を経て、日本住宅公団(現UR都市機構)の赤羽台団地となりました。団地建設に伴い、昭和三七年に庚申塔は旧赤羽台団地四九号棟付近に移設されました。
 移設後は、「赤羽台猿田彦神社」として赤羽台団地の住民のみならず地域の守り神として長年崇められてきましたが、赤羽台団地の建替に伴い、本神社に平成二九年四月に移設されました。

ほかにも管理者有志によって作られた赤羽台猿田彦神社内に掲示されていた看板、赤羽台団地時代の赤羽台猿田彦神社、赤羽台猿田彦神社があった場所などの写真や図が示されています。

庚申塔の掲載は向かって右から。

f:id:nagatorowo2:20240305180058j:image文字庚申塔猿田彦大神塔)
f:id:nagatorowo2:20240305180047j:image刻銘「惟時嘉永四辛亥年四月初申之日建之(1851) / 當所講中廿七人 / 猿田彦大神

自然石型


f:id:nagatorowo2:20240305180101j:image青面金剛庚申塔

f:id:nagatorowo2:20240305180610j:image刻銘「享保七年壬寅十一月(1722)」f:id:nagatorowo2:20240305180113j:image御尊容(立像、一面六臂、宝剣・ショケラ型、駒型)、その他像容・彫像(日天月天、瑞雲、三叉戟、矢、宝輪、弓)f:id:nagatorowo2:20240305180109j:image二鶏像と一邪鬼像f:id:nagatorowo2:20240305180105j:image三猿像(埋没)


f:id:nagatorowo2:20240305180116j:image青面金剛庚申塔

享保五庚子年十一月吉日(1720)」f:id:nagatorowo2:20240305180120j:image御尊容(立像、一面六臂、宝鈴・ショケラ型、駒型)、その他像容・彫像(日天月天、瑞雲、蛇、三叉戟、矢、宝輪、弓)f:id:nagatorowo2:20240305180124j:image二鶏像と一邪鬼像


f:id:nagatorowo2:20240305180127j:image青面金剛庚申塔

刻銘「(銘不詳)(未確認)」

御尊容(立像、一面六臂、合掌型、角柱型(?))、その他像容・彫像(戟、矢、宝輪、弓)

赤羽八幡神社の所在地