石仏石神を求めて

おもに石仏・石神などの石造物を探訪

宮城県の庚申塔 #3(名取市手倉田・玉嶋神社)

宮城県名取市手倉田字八幡の玉嶋神社(訪問日:2024年9月24日)f:id:nagatorowo2:20241012094740j:image増田川の東岸、手倉田ふれあい橋のたもとに玉嶋神社という小社が鎮座しています。f:id:nagatorowo2:20241012094736j:imageその脇に4基の石仏石塔が並んでいます。向かって左から掲載します。
f:id:nagatorowo2:20241012094727j:image丸彫り地蔵菩薩坐像。前掛けや頭巾のおかげで伊豆型道祖神のように見えます。


f:id:nagatorowo2:20241012094752j:image文字庚申塔

刻銘「□〜□年十二月十二日 / 庚申塔

自然石型


f:id:nagatorowo2:20241012094732j:imageなんらかの石碑。いくつか刻字が見えますが判然としません。


f:id:nagatorowo2:20241012094744j:image馬頭観音塔(馬櫪神塔)

刻銘「明治十四年八月廿九日(1881) / 増田驛菊地岩□ / 馬櫪神」

自然石型


f:id:nagatorowo2:20241012094723j:image玉嶋神社がこの地に鎮まっているのには理由があり、それを石祠のそばの由来碑が伝えています。
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由来碑 玉嶋神社奉遷由来
 村老の伝えて言う。元軍襲来せる「文永の役」の論功行賞にてこの地に所領を得たる松浦氏は肥前国松浦郡の玉嶋神社を遷すと。
 玉嶋神は水神にして称玉嶋明神、道祖神の妻神とも伝わる。
 玉嶋社の「御幣田」(みてぐらた)在地の故に手倉田の地名発祥との説あるも、玉嶋神祭祀は神亀元年前よりとの伝承も存す。
 松浦氏「元亀の変」後左遷され牛野に新田開発所替となりたる際玉嶋社を残置せり。
 永き年月を経て昭和末頃玉嶋社は四郎丸に遷座し、その後故ありて社殿は焼かれ御正体の玉鏡のみ落合観者の院主に奉持されいたるを、手倉田住の有志畏れ多い事として謹みてこの地に迎え宮居を奉仕し、再び手倉田の鎮守となりたるもの也。
平成二十四年十二月吉日
玉嶋神社奉賛会

玉嶋神社の所在地