2025-07-24 醫王寺の延慶二年銘板石塔婆(さいたま市南区白幡2丁目) 板碑 文化財・史跡 埼玉県さいたま市南区白幡2丁目16-8の医王寺(訪問日:令和7年2月28日) 本堂前に新造された石造摩尼車よりも碑高の高い青石塔婆が置かれています。さいたま市(旧浦和市)の有形文化財に指定されている板碑です。 解説板 浦和市指定有形文化財(歴史資料)延慶二年銘板石塔婆一基昭和四十二年三月二十五日指定規模 現高二四〇センチメートル 幅六六センチメートル 厚さ一〇センチメートル 板石塔婆は、鎌倉時代から南北朝時代を経て室町時代までの間に、供養塔や墓塔として盛んに建てられた石製塔婆です。その材料に適した緑泥片岩などの石材に恵まれた埼玉県近辺には、特に多く現存しています。 この板石塔婆は、上部と下部を欠いていますが、完形であれば四メートル近くあったものと推定されるものです。これは市内ではとびぬけて大きく、県南でも最も大きなもののひとつといえます。蓮台上に阿弥陀如来を表す種子「キリーク」が深く薬研彫され、その下には梵字による光明真言が刻まれています。さらにその下には「延慶二年己酉十一月晦日」(一三〇九)の紀年銘と、次のような造立趣旨が刻まれています。右率都婆者大□□摩耶□爰唱幽霊俄滅□留遺詞□師親別離難押恋涙仍各為訪旅魂奉立功徳普及法也 文字が欠けているところもありますが、板石塔婆のことを「卒都婆」と呼んだことを知るうえで欠かせない銘文です。 鎌倉時代後期に建てられた板石塔婆の代表的なものとして、大きさ、銘文のうえからもきわめて貴重な資料といえます。平成十一年十月宗教法人 醫王寺浦和市教育委員会 延慶二年銘板碑主尊種子キリーク。蓮座の意匠は群を抜いて優れています。刻銘「延慶二年己酉十一月晦日(1309) / 右率都婆者大□□摩耶□爰唱幽霊俄滅□留遺詞□師親別離難押戀涙仍各爲訪旅魂奉立功徳普及法也 / 〈光明真言種子〉主尊種子〈キリーク〉」 醫王寺の所在地