青森県弘前市鬼沢字猿沢の牛頭天王社(訪問日:2023年9月19日)
鬼沢南口バス停のすぐそば、こんもりとした丘上にたくさんの民間信仰塔が安置されています。
「午頭天皇」扁額。この表記は意図的なのでしょうか。Googleマップのストリートビューを確認すると2018年6月までは赤色の木造鳥居が建っていたようです。かつての扁額には「牛頭天皇」と、これまた違った表記だったようです。


牛頭天王塔を納めた堂を中心に、たくさんの石塔が整然と並んでいます。おおよそ、お堂の向かって右のものから順に掲載していきます。
文字庚申塔①
刻銘「慶應四戊辰年三月十九日(1868) / 村中講中 / 庚申塔」
自然石型、彫像(日天月天、瑞雲)
刻銘「元治二乙丑年三月廿五日(1865) / 鬼沢村中講中 / 猿田彦大神」
自然石型、彫像(日天月天、瑞雲)
六十六部廻国供養塔
刻銘「文化七庚午年九月吉祥日(1810) / 天下太平日月清明 / 行者當邑俊□□ / 奉納大乗妙典六十六部日本廻國」※行者銘に自信なし。
自然石型
廻国供養塔データベースにも記載されていますが、簡単な紀年のみの掲載でした。
その出典として示された青森県立郷土館 編『青森県「歴史の道」調査報告書 西浜街道 (鰺ケ沢街道)』にも同様の記述しかありませんでしたので、この判読内容は本邦初公開かもしれません。
刻銘「寛政元己酉年六月五日(1789) / 奉敬禮庚申本地青面金剛真言天下泰平五穀成就願主二世安樂所 / 講中敬白 / 庚申真言」
自然石型
「為二世安楽」銘を残す庚申塔は津軽においては極めて珍しく、以前書いた記事にもその旨記載しましたが、この判読により2例目の発見となりました。
全数およそ1800ある津軽地方の庚申塔と、特色ある庚申信仰の実態を解き明かす上で、本塔は非常に大きな役割を持ったものと言えるでしょう。
▼以前の記事
文字庚申塔④
刻銘「昭和二十二年旧八月二十四日(1947) / 講中一同 / 庚申塔」
自然石型、彫像(日天月天、瑞雲)
文字庚申塔⑤
刻銘「昭和二十四年旧八月六日(1949) / 庚申塚」
自然石型、彫像(日天月天、瑞雲)
文字庚申塔⑥
刻銘「慶應二丙寅年三月朔日(1866) / 村講中 / 庚申塔」
自然石型、彫像(日天月天、瑞雲)
文字庚申塔⑦
刻銘「天保十四癸卯年三月十七日(1843) / 鬼沢村中講中 / 紺屋町十三屋長次郎 / 庚申塔」
自然石型、彫像(日天月天、瑞雲)
文字庚申塔⑧
刻銘「大正九庚申年七月十七日(1920) / 鬼澤村中 / 庚申塔」
自然石型、彫像(日天月天、瑞雲)
二十三夜塔
刻銘「文政元戊寅年九月廿三日(1818) / 當村講中 / 二十三夜」
自然石型、彫像(日天月天、瑞雲)
文字庚申塔⑨
刻銘「大正十四年旧六月十五日(1925) / 庚申塚」
自然石型、彫像(日天月天、瑞雲)
文字庚申塔⑩
刻銘「昭和三十四年旧七月三日(1959) / 村中一同 棟方豊吉(ほか12名略) / 庚申塚」
記念碑型、彫像(日天月天)
板碑
本碑は『陸奥古碑集』に「字二千刈の石佛」を含む裾野村鬼澤三基のひとつとして収録されており、『青森県の板碑』によると安山岩で建てられているそうです。
字鶴喰所在と記されていましたが、当所は字猿沢の鬼沢牛頭天王社なので、おそらく資料編纂後に移転させられたのだと推測できます。
上掲の両資料はこれを無銘として扱っていますが、月輪円相中に梵字のバンっぽいのが見えます。
文字庚申塔⑪
刻銘「昭和三十二年旧七月二十一日(1957) / 講中一同 / 庚申塚」
自然石型、彫像(日天月天、瑞雲)
⑥の庚申塔の脇にはコンクリートブロックの上に金属屋根を被せたお堂があり、1基の石塔を祀っています。
無銘の石塔。注連飾りが回されているのでなんらかの民間信仰塔であることは分かりますが、判然としません。
鬼沢牛頭天王社の所在地
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