石仏石神を求めて

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法眼寺の砂踏之碑(黒石市山形町・法眼寺)

青森県黒石市山形町82の法眼寺(訪問日:令和5年9月12日)

f:id:nagatorowo2:20240802143527j:image法眼寺は津軽では珍しい黄檗宗に属する寺院です。山門や鐘楼堂など、多数の文化財を擁しています。

f:id:nagatorowo2:20240802143547j:image本堂の左側、墓地の入り口前に建立されている開山堂の脇に1基の石英安山岩製石塔とそれに随伴する標柱が立っています。この石碑は「法眼寺の砂踏乃碑」と呼ばれるもので、黒石市有形文化財に指定されています。

『黒石の文化財』という冊子に掲載された写真を見ると、元は境内入ってすぐのところに安置されている百万遍塔と一緒に置かれていましたが、離して置かれるようになったようです。その時期は不明です。それに伴い砂を埋めたところに蓋をする役割をしていた敷石も取り払われてしまったようです。

以下は市指定民俗文化財 - 黒石市(2025年6月9日閲覧)に掲載された本碑の解説です。

法眼寺の砂踏之碑(ほうげんじのすなふみのひ)
所在地 黒石市大字山形町
指定年月日 平成元年3月3日
所有者 法眼寺

法眼寺の砂踏之碑は、寛延4年(1751)4月17日に建立されたものである。銘文には黒石の西村四郎兵衛の妻が西国33か所巡礼を行い、巡礼先のお堂の下から砂を持ち帰って、この石碑の下に埋めたということが記されている。巡礼に行けなかった人は、その1つ1つに足をかけて本霊場に立ったと同じ気持ちで御詠歌を奉読し、そのご利益にあずかった。

西国霊場33か所巡礼の碑としては、県内唯一のものであるとともに、観音信仰の実体を調査する上でもたいへん貴重な石碑である。

 


f:id:nagatorowo2:20240802143536j:image巡拝塔(法眼寺の砂踏之碑、巡拝塔)
f:id:nagatorowo2:20240802143550j:image刻銘「寛延四辛未歳四月十七日建焉(1751) / 施主当人同参加藤貴孝 / 寛延三庚午天四月下浣西村四郎兵衛妻恭順礼西国三十三所而其堂下之土地手持来而埋却此盤石之下而永令人結勝縁若人発心而一踏一礼則不動寸步既西国三十三所順礼之功了者也

原字「施主當人同参加藤貴孝 / 寛延三庚午天四月下浣西村四郎兵衛妻恭順禮西國三十三所而其堂下之土地手持耒而埋却此盤石之下而永令人結勝縁若人發心而一踏一禮則不動寸步既西國三十三所順禮之功了者也」

隅丸角柱型

刻銘の赤字を小舘衷三先生は『津軽ふるさと散歩』285頁にて以下のように読み下しています。

寛延三庚午天四月下浣、西村四郎兵の妻、恭しく西国三十三所を順礼して、其の堂下の土地を手に持ち来りて、此の盤石の下に埋却して、永く人をして勝縁を結ばしむ。若し人発心して一踏一礼すれば、則ち寸歩も動かずして既に西国三十三所順礼の功了あるものなり


f:id:nagatorowo2:20240802143601j:image山門脇には解説板が設けられています。しつこいようですが、こちらにも砂踏之碑について述べてあったので以下に記します。

解説板 法眼寺境内にある黒石市指定文化財
◯市指定有形文化財 法眼寺開山堂
平成四年七月七日指定
 法眼寺開山者・南宗元頓を祀った一間四方の建物で、「赤御堂」と呼ばれていた。内部には元頓和尚の名が刻まれた卵塔一基が安置されている。正徳三年(一七一三)建立とされ、法眼寺境内で最古の建物である。
◯市指定有形文化財 法眼寺山門
平成四年七月七日指定
 寛保元年(一七四一)に建立され、本堂より古い。扉や蹴放はないが、細部の彫刻などには建築当時の意匠が残されており、姿の美しい山門である。
◯市指定民俗文化財 法眼寺の砂踏乃碑
平成元年三月三日指定
 寛延四年(一七五一)の石碑で、西村四郎兵衛の妻が西国三十三所巡礼を行った際、巡礼先の砂を持ち帰り、石碑の下に埋めたことが記されている。砂を踏むと、巡礼を行ったのと同じご利益があるという。西国巡礼について刻まれた石碑としては県内唯一で、貴重である。
◯市指定有形文化財 剣
平成十一年一月五日指定
法眼寺に安置されている三体の不動尊のうちの一体が所持している剣で、文政三年(一八二〇)に石川忠右衛門、忠兵衛が寄進したものである。名刀匠と言われた二代目細川正義作である。
令和五年三月一日
黒石市教育委員会

 

法眼寺の所在地