石仏石神を求めて

おもに石仏・石神などの石造物を探訪

玉泉寺の民間信仰塔群(狛江市東和泉3丁目)

東京都狛江市東和泉3丁目10-23の玉泉寺(訪問日:令和7年7月4日)

f:id:nagatorowo2:20250704235504j:image境内の観音堂の右脇に六地蔵尊があり、左右3体ずつのお地蔵さんに挟まれた、これまたお地蔵さんが安置されています。こちらは台石に「経王供養塔」と刻んだ経典供養塔の一種です。造立の発願主は宗心という人物で、主銘を挟んだ左側には「回国円秀」という廻国行者と思しき名前も刻まれています。

狛江市史編さん委員会編『狛江市史』719頁には、本塔が市内の廻国供養塔と並んで紹介されているため、本記事では廻国供養塔として扱います。

f:id:nagatorowo2:20250704235433j:image六十六部廻国供養塔(経典供養塔)①


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刻銘「享保二十乙卯天十月十七日(1735) / 発願宗心回国円秀 / 経王供養塔」

原刻字「發願宗心回國圓秀 / 經王供養塔」

御尊容(立像、丸彫型)


f:id:nagatorowo2:20250704235444j:image六地蔵尊と無縁仏の間の道を進み墓地の中ほどに至ると、左手に墓塔が横一列に並んでいます。その中にもう1基の廻国供養塔が安置されています。先掲書によると、こちらはもともと小川庵に建てられていたもので、同庵に関する古記録には「安永七戌年其節之留主居禅宗道心回国供養塔一躰」と記されているそうです。なお、猪方村出身の願主である実参貫道沙弥の俗名は明らかになっていないとのこと。

f:id:nagatorowo2:20250704235510j:image六十六部廻国供養塔②


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刻銘「安永七戊戌天十月吉日(1778) / 武州世田ヶ谷領猪方村願主実参貫道沙弥 / 和泉村導師玉泉寺 / 天下和順日月清明 / 奉納大乗妙経一部 / 回国供養塔 / 〈バク種子〉」

原刻字「武州世田ヶ谷領猪方村願主實参貫道沙弥 / 奉納大乘妙経壹部 / 回國供養塔」

角柱型

 

再び観音堂まで戻り、堂の傍にある明治19年に建てられた自然石型一字一石塔を撮影。市内にはこれの他に一字一石塔はありません。

f:id:nagatorowo2:20250704235520j:image経典供養塔(一字一石塔)①
f:id:nagatorowo2:20250704235507j:image刻銘「明治十九年九月建立(1886) / 秋葉喜久造登戸村原島芳五郎(ほか交名3名略)イツミ村本橋源七(ほか交名2名略)イノカタ村粟原マキ / 神木山多々良玄心当寺第廿二世義範代 / 法華経一字一石書写供養塔 / 〈バク種子〉」

原刻字「神木山多々良玄心當寺第廿二世義範代 /法華經一字一石書寫供養塔」

自然石型、彫像(開敷蓮華、蓮葉

 

観音堂の左側を見遣ると立派な山門があり、それに接続する右手の塀を辿っていくと墓地の片隅に首のもげてしまった六地蔵尊が安置されています。狛江市教育委員会編『狛江市の石造物』21頁には地蔵菩薩は5体のみと記されていますが、実際は6体ありました。案ずるに、左から3番目のお地蔵さんは他と比べて一回り像容が大きいことから、こちらは資料編纂後に他所から集められたものではないかと思われます。
f:id:nagatorowo2:20250704235451j:image六地蔵塔(念仏供養塔)

刻銘「元禄十六癸未天十月仏涅槃日(1703) / 猪方村女中同行廿九人 / 念仏講供養 / 金剛願地蔵金剛悲地蔵金剛宝地蔵天賀地蔵金剛幢地蔵」

原字「元禄十六癸未天十月佛涅槃日 / 念佛講供養」

丸彫型

 

六地蔵の向かいに馬頭観音が置かれています。

f:id:nagatorowo2:20250704235441j:image馬頭観音塔(馬頭観世音塔)

刻銘「(紀年銘不詳) / 馬頭観世音」

原刻字「馬頭觀卋音」

駒型

 

山門脇には地蔵尊と経典供養塔が置かれています。
f:id:nagatorowo2:20250704235524j:image経典供養塔(読誦塔)②

刻銘「寛政四壬子年三月吉日(1792) / 武州多麻郡和泉村本願主荒井新右衛門供養願主清左衛門 / 享保三戌正月父始招当寺住僧令読普門品今寛政四子三月迄無怠凡巻数一万五千巻也故造立供養宝塔祈子孫繁栄者也 / 奉読誦普門品供養塔 / 〈サ種子〉」

原刻字「享保三戌正月父始招當寺住僧令読普門品今寛政四子三月迄無怠凡巻数一萬五千巻也故造立供養寶塔祈子孫繁榮者也 / 奉讀誦普門品供羪塔」

笠付角柱型


f:id:nagatorowo2:20250704235517j:image地蔵菩薩塔(地蔵菩薩立像塔)

刻銘「宝暦十三癸未年十二月吉日(1763) / 多麻郡世田谷領猪方村松本五郎右衛門(ほか交名7名略)願主敬白 / 奉造立地蔵尊像一躯」

原刻字「奉造立地藏尊像一軀」

御尊容(立像、丸彫型)、その他像容・彫像(錫杖)

 

「一隅を照らす」と刻まれた石碑の向かいには明治19年ごろに建てられたと伝わる東京写六阿弥陀、准西国三十三所観世音の写仏が並んでいます。そのうち、六阿弥陀の写し仏の3番目には猪方村の念仏講中が造立に関わったことが銘文から分かります。

霊場全体の写真しかありませんが、その石仏だけピックアップして刻銘を掲載します。

f:id:nagatorowo2:20250707213128j:image阿弥陀写し仏

刻銘「周恩人小川てつ白井きん / 第三番 / 和泉猪方念仏講中」※明治十九年頃の造立。

 

玉泉寺の所在地