青森県弘前市新岡字薬師のダナグシの森(訪問日:令和5年9月10日)
新岡集落の中心から岩木山に向かって坂道を西へ進んでいくと左手に少し開けた平地があり、そこに数台の車(廃車ヵ)が停まっています。それらの手前に旧岩木町の教育委員会が設置した1枚の看板が立っています。
なお、ダナグシの森の西方には大字百沢があり、そこに「旦の越(たんのこし)」という小字地名が残っていて、ここ新岡のダナグシと由来を一にするものではないかと思われます。ちなみに『明治前期全国村名小字調査書』には、字旦の越は「だんのこし」とルビが振ってあります。
解説板のある場所から平地を新岡方面へ進み、個人の畑へ入ると前方に竹藪の脇に大小の石碑が集落に面して置かれているのが分かります。
表に回ってみるとこんな感じです。向かって右が文字庚申塔で、左が今回の訪問目的である「建武の板碑」です。先ほどの解説によれば碑高は130cmあるそうですから、これをエゾ長根の一郭にあたるダナグシ森へと秘匿した村人らは、相当苦労してここまで運んだことでしょう。
もしかすると、新岡の地を自らの御廟と定めたかった津軽信政公は、本碑が事前に得た情報に反して発見されなかったことを悔しがったかもしれません。
青森県立郷土館編『青森県の板碑』は、本碑の消失の件は「一夜にして忽然と消え去った新岡の古碑」と時の人らに噂されたと記しています(基番号56)。
板碑(建武の板碑)
刻銘「建武二年大戈乙亥三月日(1335) / 〈阿弥陀三尊種子〈キリーク・サ・サク〉」※青文字は前掲資料中で推測されている刻字。
自然石型(安山岩(貝沢石))、彫像(郭)
石塔越しに新岡集落を望見。帰り際、集落の方面からもダナグシ森を望みましたが、ギリギリ肉眼でも建武の板碑と庚申塔は発見できました。
所在地 40.636088785372294, 140.3883447197459



