石仏石神を求めて

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伝・天明飢饉供養塔と板碑など(弘前市高杉・南貞院)津軽地方の天明飢饉供養塔 #59

青森県弘前市高杉字山下の紫雲山南貞院(訪問日:2023年9月19日)

f:id:nagatorowo2:20250116115548j:image高杉集落にある浄土宗寺院です。本尊は聖観世音菩薩。津軽三十三観音霊場第四番札所です。

f:id:nagatorowo2:20250116115544j:image鎮守社に挟まれて1基の石塔が安置されています。こちらは資料によると天明大飢饉の供養碑とのことですが、紀年は天明四年でまさに卯辰の飢饉の真っ只中に造立されており、津軽一円が飢えと病に苦しむ中で死者を弔うための石塔を建てたとは考えづらいです。

実際、関根達人著『津軽の飢饉供養塔』に本塔は収録されておらず、また、疫癘や卯辰供養との刻字が見えないことから、純粋な三界万霊塔である可能性が高いです。
f:id:nagatorowo2:20250116115528j:image伝・天明飢饉供養塔

刻銘「天明辰年二月廿一日立之(1784) / 有縁無縁三界万霊等菩提位」

自然石型


f:id:nagatorowo2:20250116115540j:image境内の様にコンクリートの上に並べられた石仏石塔群があり、その一部に廻国供養塔が紛れています。
f:id:nagatorowo2:20250116115552j:image六十六部廻国供養塔①


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刻銘「明和七寅天十二月十五日(1770) / 願主高杦村鈴木久左衛門 / 天下和順日月清明 / 日本回國六十六郶供養塔 / 梵字〈キリーク・サ・サク〉」

山状角柱型


f:id:nagatorowo2:20250116115532j:image六十六部廻国供養塔②


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刻銘「享保十五戌年二月十五日(1730) / 高杉村中 / 發顔人心誉光清宝永五 / 単誉□心正徳□ / 日本廻国供養佛」

山状角柱型


石仏群の脇に覆屋で保護された板碑があります。県下でもかなり状態の良い中世石造物です。f:id:nagatorowo2:20250116115536j:image南貞院の板碑(正和元年銘板碑)

刻銘「正和元年壬子中旬仲冬日 / 施主謹立 / 南無阿弥陀佛 / 光明遍照十方世界念仏衆生摂取不捨右円舜義御前当五七忌為仏陀刻石塔坐九品一刹証被生思」
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解説板  ここのすぐ近くに八重の森があり、その昔曹洞宗八重山長徳寺があった。その寺は、弘前に城が築かれて間もなく茂森に移されたが古い時代の墓石はそのまま寺院跡に残されたのである。昭和の初めごろの記録では十一基確認されているが、現在は四基しか残っていない。
 この石碑も、もと八重の森にあったが、いつのころからか南貞院に移されてまつられてきたものである。
碑面には、
(絵図)
のように、関東地方の板石塔婆と同じような形式で刻まれている。南無阿弥陀仏の名号と阿弥陀三尊仏の種子、光明遍照・・・・・の観無量寿経の偈文などから浄土宗の神社のお墓であることがわかる。また正和元年(一三ー二)今から六百七十年前の冬に、高貴な方の女性の三十五日法要に建てられたということがわかる。
 この石碑は、津軽地方に現存する浄土真宗関係の最も古い年号が刻まれたものとして非常に貴重な資料である。
昭和五十七年四月二十七日 高杉部落委員会

 

先の天明飢饉供養塔の近くにも廻国供養塔があります。

f:id:nagatorowo2:20250116115524j:image六十六部廻国供養塔③

刻銘「寛政十二庚申年六月十五日(1800) / 金木村不動林藤七貞顔尼 / 佐州雑太郡宮浦村了圓 / 天下和順日月清明 / 奉納大乗妙典六十六部日本廻國」

自然石型、彫像(日天月天、瑞雲)

 

南貞院の所在地