石仏石神を求めて

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天明飢饉供養塔(弘前市高屋・吉祥寺)津軽地方の天明飢饉供養塔 #60

青森県弘前市高屋字福田の吉祥寺(訪問日:2023年9月10日)f:id:nagatorowo2:20250118184534j:image和光山吉祥寺は県道3号線、弘前岳鰺ケ沢線沿いに位置しています。

かつてこの辺りは津軽郡坪貝村(鼻和郡坪貝村)という村があり、字福田はまさにその村域でした。

津軽一円には、飢饉に斃れた人々を大穴にまとめて埋めて供養した「イゴク穴」があり、旧岩木町などの弘前郊外ではそれを「ツボケ」と呼んでいました。

ツボケは坪貝と当て字し、時には貝塚を意味することもあり、坪貝村というのはそこから来たものと推測されます。

しかし、高屋の坪貝地区には吉祥寺の共同墓地があり、ここを亡魂が彷徨う不吉な場所として忌避する風習があるそうなので、ここにイコク穴があったことを証明していると思われます。
f:id:nagatorowo2:20250118184538j:image本題に戻ります。墓地の片隅に北向きで石塔群が安置されており、この内の2基が飢饉供養塔です。後述しますが、右端のものはあくまでも一資料に記載が見られるのみで、確実に飢饉供養塔とは呼べない代物です。


f:id:nagatorowo2:20250118184542j:image天明飢饉供養塔(六字名号塔)

刻銘「文化三丙寅三月廿四日建之(1806) / 施主賀田村 / 天明三四卯辰餓死供養塔 / 南無阿弥陀佛」

自然石型、彫像(円相、開敷蓮華)


f:id:nagatorowo2:20250118184522j:image伝・天明飢饉供養塔(六字名号塔)

刻銘「嘉永二己酉年五月十五日(1849) / 南無阿弥陀佛」

自然石型


f:id:nagatorowo2:20250118184547j:image住職墓

刻銘「文化元甲子年八月十二日(1804) / 當庵代々中叟即安秀別□諸霊塚」

自然石型


f:id:nagatorowo2:20250118184530j:imageかつては立派な本堂があった吉祥寺ですが、今は敷石が残るのみとなっています。写真の建物は集会所として新築されたものでしょうか。
吉祥寺の所在地