宮城県石巻市和渕字笈入30の柳江山済北寺(訪問日:2025年3月18日)
笈入集落に位置する済北寺は宮城郡松島町の瑞巌寺末寺です。伊達家家臣の真山刑部が建立し、瑞巌寺の再中興開山と称される同寺100世の洞水東初禅師を招聘し開山僧としました(『桃生郡誌』参照)。
境内に入ってすぐ左手に膝下ぐらいまでの塔高の民間信仰塔や墓塔がいくつか並んでいます。その中に、とても興味深い銘文を有する石塔が3基あります。


碑面中央に刻まれた主銘に「焦面金剛(しょうめんこんごう)」と刻んだ石塔がそれです。通常であれば「青面金剛」と刻むべきところを、青字を焦字に変えています。
単に青面金剛とは異なる焦面金剛という仏尊を信仰する石塔かとも思いましたが、そのような仏は少なくとも私が調べた限りでは存在せず、また①として後掲する石塔には「庚申供養」銘があるため、これがれっきとした庚申供養塔であり、青面金剛を主尊に据えて建てられたことが分かります。
なぜ、焦面金剛という表記なのかについては色々と論じられていますが、青面金剛の「青」の音である「しょう」に通ずる漢字一字を充てたという借音説のほか、青面金剛の恐ろしい忿怒相や天を衝く怒髪から焦の字を連想したという説もあります(『宮城県の庚申塔 : 導師と講中』参照)。
青面金剛を借音で表した例を自分の知る限りで挙げてみると、
などがあります。
このほかに石造物以外では東京都あきる野市牛沼の秋川神社(旧称日吉山王大権現)旧蔵の永禄二年銘の銅造阿弥陀三尊種子懸仏に、「生面金剛」のほか文殊、薬師、釈迦、阿弥陀、六観音、南無山王二十一社などと刻まれています。生面金剛は青面金剛と見て間違いなく、鐫刻された文殊から六観音までの5尊を加えると現存最古の庚申縁起本である『庚申因縁記』に記された庚申の日の礼拝本尊と合致し、過去・現在・未来の三世仏を礼拝する山王二十一仏の信仰や、「永禄二己未年稔月廿三日」の紀年銘が庚申の日の翌日であるという偶然とは考え難い点から見ても、これが庚申信仰と密接な関係を持って造立されたことは論を俟たず、既にこの頃より青面金剛を別の漢字で表記することもあったと分かる貴重な史料と言えます。しかしながら旧蔵とある通り、この懸仏は現在は行方不明となっています(『秋川市史』参照)。
静岡県湖西市には「南□焦面金剛童殿」と刻む庚申塔があるらしく、当て字を意に介さない当時の世相を表したものとされています(『湖西市史』資料編 9参照)。
ここまで諸文献を基に長々と記してきましたが、境内には本塔について記した旧河南町教育委員会設置の看板があります。
偶然か意図的かは不明ですが設置年は前回の庚申の年である昭和55年(1980年)です。すでに半世紀近く経過していることから文字は掠れ、読みにくくなっています。なんとか文字起こししたので内容を以下に記します。

『自然と遊ぶ:続ふれあい宮城』という本にも、旧河南町のレジャー施設として和渕笈入の「焦面金剛庚申塚」が記載され、以下のように記されています(レジャーに適するかは疑問ですが)。
済北寺境内にある庚申塚は通常の塚が青面金剛と刻まれているのに対し、焦面金剛と刻まれた珍しいもの。
掲載は向かって右からです。
文字庚申塔(青面金剛塔(焦面金剛塔))①
刻銘「元文五庚申八月念一日(1740) / (交名11名略) / 焦面金剛庚申供養 / 〈バーンク種子〉」
自然石型、彫像(日天月天)
刻銘「寛延四年八月廿六日(1751) / (交名11名略) / 焦面金剛 / 〈バーンク種子〉」
自然石型
刻銘「宝暦十二壬午歳九月上□日(1762) / (交名9名略) / 焦面金剛 / 〈アーンク種子〉」※交名に導師銘ありか。
原字「寶暦十二壬午歳九月上□日」
自然石型
寺の前にはたくさんの馬頭観音塔が置かれています。写真中央にも庚申塔が写っていますが、訪問当時は完全にスルーしてしまいました。
最も新しい紀年を有する馬頭観世音塔。昭和六十年三月吉日に生出習という方が建立したようです。下部に開敷蓮華が刻まれています。
おまけ
焦面金剛塔の右側には地蔵堂があり、六地蔵尊を祀っています。
『東北民俗資料集(七)』の地蔵信仰の項の「宮城県地方に於ける地蔵分布(一部)表」に、当寺に祀られる地蔵には病災除きの効験があると記載されています。『河南町誌(河南町史)』が出典のようですが、そちらの方は未読です。
済北寺の所在地
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