青森県つがる市森田町大館字戸和田の十和田神社跡(訪問日:2024年9月1日)
県道39号線 長平町森田線を挟んだ狄ヶ館溜池洪水吐ゲートの向かいに、道路より若干海抜の下がった場所があり、そこに赤い鳥居が建てられています。
鳥居へつづく階段を降ると草木の払われた空間に出ます。地面には工事区で用いられる布のようなものが敷かれています。
実は以前はここに十和田神社と呼ばれる木造の神社が構えていました。しかしながら現在はその姿はなく、社殿内に奉安されていた御神体である石塔群のみが残されています。X(旧Twitter)でmeg-wrappin' さん(@pikachu1978)がご教示下さった情報によると、かつての社殿は平時は閉扉されていたため内部での参拝はできなかったそうです。
広瀬伸著(2017)『水虎様への旅 - 津軽の水土文化』という本の、水虎様・水神様を一覧表形式にしてある別表には、当十和田神社の御神体として石版刻字型(石に文字を彫り込んだもの)の文字不明の十和田様が報告されています。また、同書140頁には大館の十和田様についてサンゴ打ちの習俗など、その信仰の諸相が記されているので引用します。
(前略)森田村大館の十和田様(番号61)は、溜池の堤の下に設置された水門の脇に祀られ、以前には、旧四月一九日の祭日に水門に注連縄を張り、サンゴを打って(占いの一手法、後述)秋の豊凶を占っていた。ここの集落出身者に聞くと、旱魃除けとともに、河童に取られるという伝説に基づいて子供の水難除けをも願っているというから、他の集落の水虎様と同じ機能を持っているといえる。
そして当地の小字名である戸和田も、この神社の社号に由来するものと思われます。溜池や水路、河川が多い土地柄故の信仰が基になっているのでしょう。
水神塔(闇龗神塔)①
刻銘「明治四辛未年四月十九日(1871) / 東堂平井俊章書 / 石工齋藤寅之助 / 闇龗神鎮座」※東堂平井とは書家平井東堂のこと。津軽の著名な書家である高山文堂の師匠に当たる人物。津軽藩江戸留守役を務めた。
自然石型
水神塔②
刻銘「慶応二丙寅年四月十九日 / 経津主之命木配之命水波女命速開津彦姫瀬織津姫武甕槌命」
自然石型
無銘石塔①。上の水神塔と同じく社殿内に祀られていたものです。
無銘石塔②。『森田村誌』上巻380頁に描かれた当社境内の略図を参照すると、これは神社内部に祀られていたものではなく、社殿の脇に置いてあった石塔であることが分かります。
石塔群の近くには社殿の用材であったであろうものが乱雑に置かれていました。
訪問から半年以上過ぎているので確かなことは言えませんが、この様子だと再建の見込みは薄そうです。
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