石仏石神を求めて

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根津神社の庚申塔群と塞大神塔(文京区根津1丁目)東京23区の庚申塔 #442

東京都文京区根津1丁目28-9の根津神社(訪問日:令和7年1月7日)

f:id:nagatorowo2:20250116004243j:image根津神社の境内角に、近傍から寄せ集められた石造物群(力石、庚申塔などで構成)があります。

平野実氏の著書『庚申信仰』にはこの庚申塔群(氏はこれを無縁仏とする)が取り上げられており、自身が銘文をスケッチしている様子を写した写真まで付されています。

その写真を見ると笠部が真ん中のセメント部分の上に載せられていて、現在のように各庚申塔の上には載っていなかったようです。

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解説板① 庚申塔(こうしんとう)(六基・根津神社境内)
 ここに六基の庚申塔がある。道の辻などに建てられたものが、明治以降、道路拡幅などのため、根津神社に納められたものである。
 正面から左回りに刻まれた像、銘文を見ると、
青面金剛 (しょうめんこんごう)・猿・鶏・寛文八戌申(1668)・駒込村・施主十五名
②観音像・ 庚申供養 ・施主十二名
③日月瑞雲・青面金剛・鬼・鶏・ 元禄五壬申(1692)施主二十六名
④日月・青面金剛・猿・延宝八庚申(1680)願主一名
梵字・庚申供養・ 寛永九年壬申(1632)都島【庚】馬米村・施主七名
⑥日月・青面金剛・鬼・猿・駒込千駄木町・施主十名 宝永六己丑(1709)
(【】は欠けた文字)
この中で、⑤の庚申塔は、 寛永九年 (1632)の建立で、区内の現存するものでは最も古い。都内で一番古いのは、足立区花畑にある元和九年のもので、これより九年前の建立である。青面金剛は、病魔・悪鬼を払う庚申信仰の本尊として祭られる。猿は庚申の神の使いとされ、見ざる・言わざる・聞かざるの 三猿 は、そのようなつつしみ深い生活をすれば、神の恵みを受けられるとされた。
 庚申信仰 は中国の道教から生まれ、六十日ごとにめぐる庚申 (かのえさる・十干十二支の組合わせ)の夜は、人がねむると三尸の虫がその人の体からぬけて天に昇り、天帝にその人の罪を告げて命を縮めると説かれた。これが仏教と融合してわが国に渡来し、古来の天つ神を祭るおこもりの習慣と結びついた。
 江戸時代に、特に盛んになった民間信仰で、庚申の夜は講の当番の家に集り、般若心経を唱え、和やかな話合いで一夜を過した。また、祭神も猿田彦神、塞の大神=道祖神であるとの説もある。
ー郷土愛をはぐくむ文化財
文京区教育委員会
昭和五十六年九月


f:id:nagatorowo2:20250116004154j:image青面金剛庚申塔

刻銘「寛文八戊申歳十月十八日(1668) / 武州豊嶋郡江戸駒込村 / □〜□楽也」※五甲申の日造立。

原刻字「武刕豊嶋郡江戸駒込村 / □〜□樂也」
f:id:nagatorowo2:20250116004214j:image御尊容(立像、開臂三面六臂、唐破風笠付角柱型)、その他像容・彫像(髑髏、宝輪、矢、羂索、三叉戟、弓、宝棒、蛇)
f:id:nagatorowo2:20250116004222j:image二鶏像(牡牝一対)と一猿像。御幣らしきものを持った猿が雄鶏と雌鶏に迫られています。
f:id:nagatorowo2:20250116004130j:image三猿像(基壇)


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実に美しい三面像で感動しました。

f:id:nagatorowo2:20250116004150j:image青面金剛庚申塔

刻銘「宝永六己丑四月十九日(1709) / 武刕豊嶌郡駒込千駄本町施主石原氏(ほか交名9名略) / 奉建立庚申」※二庚申の日造立。

原刻字「寶永六己丑四月十九日」
f:id:nagatorowo2:20250116004218j:image御尊容(立像、合掌一面六臂、駒型)、その他像容・彫像(日天月天、蛇、瓔珞髑髏、矢、弓)
f:id:nagatorowo2:20250116004226j:image一邪鬼像と三猿像


f:id:nagatorowo2:20250116004123j:image文字庚申塔

刻銘「寛永九年壬申初春廿二日(1632) / 都嶋東馬米村(交名7名略) / 奉造立庚申供養一結衆二世成就攸 / 〈キャ種子〉」※初庚申の日造立。

板碑型
f:id:nagatorowo2:20250116004115j:image開敷蓮華像


f:id:nagatorowo2:20250116004107j:image青面金剛庚申塔

刻銘「延宝八庚申歳六月吉祥日(1680) / 信心之願主内山彦兵衛」
f:id:nagatorowo2:20250116004210j:image御尊容(立像、一面六臂、唐破風笠付角柱型)、その他像容・彫像(日天月天、宝剣、ショケラ、三叉戟、矢、宝輪、弓)
f:id:nagatorowo2:20250116004146j:image標準型三猿像


f:id:nagatorowo2:20250116004206j:image青面金剛庚申塔


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刻銘「元禄五壬申年五月十一日(1692) / (交名25名略) / 南無阿弥陀仏 / 奉造立庚申塔為二世安楽」※三庚申の日造立。

原刻字「南無阿弥陀佛 / 奉造立庚申塔爲二世安樂」
f:id:nagatorowo2:20250116004112j:image御尊容(立像、一面六臂、唐破風笠付角柱型)、その他像容・彫像(日天月天、瑞雲、蛇、宝剣、羂索、戟、矢、宝輪、弓、蓮華)
f:id:nagatorowo2:20250116004142j:image一邪鬼像と二鶏像(牡牝一対)

f:id:nagatorowo2:20250116004247j:image聖観音菩薩像庚申塔
f:id:nagatorowo2:20250116004134j:image刻銘「□〜□月吉日 / (交名10名略) / □〜□待庚申供養」
f:id:nagatorowo2:20250116004138j:image御尊容(立像、舟形光背型)、その他像容・彫像(未敷蓮華)


f:id:nagatorowo2:20250116004239j:image庚申塔群の向かって右側にはいくつかの板石や自然石を積み上げて造った塚の頂点に「塞大神」と刻んだ石塔が建立されています。こちらは「塞の大神碑」という名称が付けられており、『文京区の石造文化財-庚申信仰関係石造物調査報告書-』には庚申塔として収録されています。

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解説板② 塞の大神碑(さえ(い)のおおかみひ) 根津神社 根津一ノ二八ノ九
 この塞の大神碑は、もと通称駒込の追分(向丘一ノ一)にあった。ここは現在の東京大学農学部前で、旧中山道と旧岩槻街道(旧日光将軍御成道)との分点で追分といわれた。
 この追分は、日本橋から一里(約四粁)で江戸時代一里塚のあった所である。今も角店は江戸時代から続く老舗の高崎屋である。この高崎屋よりに一里塚があり、榎が植えられていたが、明和三年(一七六六)に焼け、その跡に庚申塔がおかれたが、これも文政七年(一八二四)の火災で欠損した。
 その跡地に、この塞の大神碑が、明治六年(一八七三)建てられた。同四十三年、道路の拡幅のため、碑は根津神社に移され、現在に至っている。礎石に移転の事情が刻まれている。
 塞の神は邪霊の侵入を防ぐ神であり、道行く人を災難から守る神で、みちのかみとも道祖神ともいわれる。
ー郷土愛をはぐくむ文化財
文京区教育委員会
昭和五十六年三月

この一里塚について『江戸時代商標集』115頁には、「そこに明治明治六年重建の塞神碑と庚申碑とがあったが、同四十三年七月渡邊氏の篤志根津神社後苑に移したといふ。」とあります。

また、『文京区の散歩道』113-114頁によれば、火災に遭い欠損したという庚申塔は文化五年に建てられたものであったそうです。

f:id:nagatorowo2:20250116004234j:image文字庚申塔
f:id:nagatorowo2:20250116004126j:image刻銘「明治六年九月(1873) / 秋巌 / 塞大神」

自然石型(板石型)

 

根津神社の所在地 35.72031850649369, 139.76005713082793