石仏石神を求めて

おもに石仏・石神などの石造物を探訪

津軽地方の庚申塔 #232(つがる市柏広須・柏村発祥の地)

青森県つがる市柏広須字宮井の柏村発祥の地(訪問日:2024年1月3日)f:id:nagatorowo2:20241205154523j:image大柏の下、農村公園の一角に鳥居が設けられています。f:id:nagatorowo2:20241205154527j:image3基の民間信仰塔を祀っているようです。向かって左から掲載します。
f:id:nagatorowo2:20241205154536j:image文字庚申塔

刻銘「慶應四戊辰年三月十二日(1868) / 工藤治助(ほか12名略) / 庚申」

自然石型、彫像(日天月天、瑞雲)


f:id:nagatorowo2:20241205154545j:image二十三夜塔①

刻銘「□〜□廿三日 / 二十三夜」

自然石型、彫像(日天月天)


f:id:nagatorowo2:20241205154540j:image二十三夜塔②
f:id:nagatorowo2:20241205154531j:image刻銘「昭和三十年八月二十三日(1955) / 金婚記念 / 天月夜見大神

半加工自然石型

 

おまけf:id:nagatorowo2:20241205154726j:image柏の木。この木が旧柏村の名前の由来だそうです。枝振りも豪快でまだまだ大きくなりそうです。
つがる市教育委員会設置の説明書きもありました。f:id:nagatorowo2:20241205154731j:image

解説板 柏村発祥の地(柏の木)
 柏正八幡宮の由緒書等によると、天正五年(1577年)、後に弘前藩初代藩主となる津軽為信が領内の視察を行いました。妙堂山(現在の鶴田町妙堂崎)から当時まだ一面の原野であった新田地方を見渡すと、葦原の真ん中に一本の大木が生えており、そばから炊煙が立ち上るのが見えました。
 訪ねてみると、柏の老木の下に三軒の粗末な小屋があり、工藤祐益、花巻頼母、山崎織部という武士が、わずかな畑を耕しながら暮らしていました。村の名は、柏の根元に蟻が巣食っていることから蟻巣村といいました。為信公は開墾に勤しむ三人を大いに励まし、この地を広須村と名付けました。さらに、彼らの願いを受けて柏正八幡宮と広須山長福寺を建立しました。
 以降、広須村を始点として周辺の開発は大いに進み、やがて広大な広須・木造新田の完成に至りました。旧柏村の村名は、明治二十二年(1889年)に桑野木田、上古川、下古川、鷺坂、稲盛の五村が合併した際、由緒あるこの木にあやかって命名されたものです。現在の柏の木は、新田開発が一段落した宝永元年(1704年)に植樹されたと伝わる二代目です。
つがる市教育委員会


f:id:nagatorowo2:20241205154718j:image公園内には他にも、大きな自然石に石板をはめ込んだ記念碑があります。
f:id:nagatorowo2:20241205154722j:image「柏村 発祥之地 青森県知事竹内俊吉」「天正四年三月津軽藩祖為信公によって世に出て以来四百周年を記念しこの碑を建立す 昭和五十一年十一月二日 柏村長小関二郎」と刻まれていました。

柏村発祥の地の所在地