石仏石神を求めて

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向原の石造弁財天像(川崎市麻生区向原3丁目・向原弁天公園)

神奈川県川崎市麻生区向原3丁目3-5の向原弁天公園(訪問日:令和7年9月7日)

f:id:nagatorowo2:20250908205208j:image向原弁天公園の西口、児童遊園の遊具を傍目に整備された階段を上がっていくと左手に2本の巨木の根元に弁才天の石仏と角柱型の石塔が1基ずつ安置されています。この弁才天が公園の名称の由来です。周囲には柵が設けられており、信仰の場であることを示しています。

この石仏は「向原の石造弁財天像」の名称で川崎市の有形民俗文化財に指定されています。

文政11(1828)年の紀年銘のある弁財天像です。かつては溜池の傍らにありましたが、現在は向原弁天公園内に安置されています。

川崎市教育委員会 : 向原の石造弁財天像 (令和7年9月8日閲覧)

 

そばには昭和62年に設置された看板が立っています。

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解説板 向原の池と弁才天(弁戈天)
 この辺りには、もと、向原の池といわれる大きな池があった。この池は、陣川、麻生川をへて鶴見川に至る水系の谷頭に水を溜めてこの付近一帯の灌漑用水に供するため、私たちの祖先が汗を流して造ったものである。新編武蔵風土記稿にも、「留井、字向原にあり、大きさ三畝十歩(三・三アール)ほどの池なり、云々」とある。池の中央近くには、この弁才天が祀られてあり、池の守護神として地元では「弁天様」と、あがめられてきた。
 弁才天は、元来は農業神であり、福徳の神であり、各地の池、沼、川などの水辺に祀られる水神である。
 この弁才天女像は、文政十一年(一八二八年)八月に建立され、右手に宝剣、左手に宝珠を奉持し、頭上には、鳥居と神の使いとしての蛇が刻まれ、長年の風雪にも耐えて温容を保っているのは、白井与惣右エ門以下、細山村の人々の魂がこもっているからであろう。
 このたび土地区画整理事業により、ここに安置して、その福徳を永遠に伝えるものである。
 撰文 箕輪敏行
 昭和六十二年五月吉日建立
 金程向原土地区画整理組合
 理事長 白井金治郎


f:id:nagatorowo2:20250908205151j:image弁才天塔(宇賀弁才天坐像塔)


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刻銘「文政十一丁亥年八月吉日(1828) / 武州橘樹郡細山村中」※文政十一年は戊子年。
f:id:nagatorowo2:20250908205158j:image御尊容(坐像、一面二臂、舟形光背型)、その他像容・彫像(宝剣、宝珠、鳥居、宇賀神)
f:id:nagatorowo2:20250908205203j:image波濤像


f:id:nagatorowo2:20250908205221j:image溜池工事記念碑

刻銘「昭和九戌年三月吉日(1934) / 溜池工事記念碑」

平頭角柱型


f:id:nagatorowo2:20250908205217j:imageなぜか大黒天の像もありました。どなたかが弁財天と大黒天の関係を重視して置いたのでしょうか。

 

向原弁天公園の所在地 35.61770456894757, 139.50102095961802