石仏石神を求めて

おもに石仏・石神などの石造物を探訪

愛知県の庚申塔 #9(名古屋市西区名塚町1丁目・稲生原古戦場跡)

愛知県名古屋市西区名塚町1丁目の稲生原古戦場跡(訪問日:2024年8月9日)f:id:nagatorowo2:20240818071212j:image庄内通駅から名塚町交差点まで北進し、西にやや行った右手側に写真のような枝垂れ柳があります。f:id:nagatorowo2:20240818071222j:image葉をかき分けていくと堂宇と新しめの宝篋印塔が見えます。
そばには解説板が設けられています。f:id:nagatorowo2:20240818071219j:image

解説板 稲生原古戦場跡
 織田家の家臣柴田勝家、林光春らは末森城にいた織田信行を擁立し、清須の兄・信長を討とうとして、弘治二年(一五五六)八月二十四日、この地で戦いを挑んだが、清須側の勝利となった。勝利した信長は尾張の統一に大きく踏み出した。
 ここにある庚申塚は、この合戦の死者を祀ったものといわれるが、本来は、庚申信仰の名残でもある。
名古屋市教育委員会

Inogahara Battlefield
Shibata Katsuie (1522-83), the vassal of the Oda's, supported himself with Oda Nobuyuki (? -1557) and engaged his elder brother Oda Nobunaga (1534-82) in battle here on August 24, 1556. The battle ended in Katsuie's defeat.

英語版の解説には庚申信仰については記されていません。
f:id:nagatorowo2:20240818071207j:imageWikipediaによると、この宝篋印塔が林通具十三代目子孫らにより建立された稲生原合戦戦没者供養塔だそうです。f:id:nagatorowo2:20240818071225j:image堂宇まで歩みを進めます。f:id:nagatorowo2:20240818071200j:image中を覗くと石仏が。こちらが先の解説にあった庚申塚(青面金剛主尊の庚申塔)です。
f:id:nagatorowo2:20240818071215j:image青面金剛庚申塔

刻銘「(銘不詳)」f:id:nagatorowo2:20240818071203j:image御尊容(立像、三面六臂、宝剣・ショケラ型、舟形光背型)、その他像容・彫像(宝輪、矢、三叉戟、弓)f:id:nagatorowo2:20240818071210j:image一邪鬼像と三猿像

稲生原古戦場跡の所在地