石仏石神を求めて

おもに石仏・石神などの石造物を探訪

東京都23区の庚申塔 #169(墨田区東向島3丁目・法泉寺)

東京都墨田区東向島3丁目の法泉寺(訪問日:2024年1月10日)f:id:nagatorowo2:20240313004355j:image境内墓地の隅に民間信仰塔の集められた空間があります。
f:id:nagatorowo2:20240313004313j:imageまずは右端に寄せられた庚申塔3基から。これらには解説板が伴います。
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解説板① 庚申塔
庚申塔は江戸初期に道教に由来する信仰に基づいて建てられた石塔です。庚申講では寝ている間に体内にいる三尸虫がその人の悪事を天帝に報告に行くのを防ぐため、庚申の日に夜通し眠らずに過ごしました。庚申講を三年間十八回続けた記念に庚申塔が建立されたと伝えられています。
左 地蔵菩薩立像 光背・錫杖・宝珠 寛文六年(1666)
中央 阿弥陀如来立像 船形後背型 寛文十一年(1671)
阿弥陀如来座像(定印) 笠石塔婆姿 延宝八年(1680)

 

f:id:nagatorowo2:20240313004317j:image阿弥陀如来庚申塔

刻銘「延宝八庚申天十一月五日(1680) / 奉供養庚申二世安樂」f:id:nagatorowo2:20240313004324j:image御尊容(坐像、笠付角柱型)、彫像(蓮華)f:id:nagatorowo2:20240313004321j:image三猿像


f:id:nagatorowo2:20240313004327j:image阿弥陀如来庚申塔

刻銘「寛文十一戊亥年九月吉日(1671) / 奉待庚申供養衆」f:id:nagatorowo2:20240313004330j:image御尊容(立像、舟形光背型)


f:id:nagatorowo2:20240313004334j:image地蔵菩薩庚申塔

刻銘「寛文六丙午天八月十二日(1666) / 庚申講中 / 奉造立地蔵尊為二世安樂也」f:id:nagatorowo2:20240313004341j:image御尊容(立像、舟形光背型)、彫像(日天月天)f:id:nagatorowo2:20240313004337j:image二鶏像と三猿像


f:id:nagatorowo2:20240313004345j:image六地蔵の左手には石祠があります。
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解説板② 宇賀神弁財天石祠
延宝九年(1682)
 石室に寄棟造りの屋根、内部には宇賀神弁財天座像が浮彫されています。左手に宝珠、右手に鍵を持ち頭上には鳥居と人頭蛇身の宇賀神を戴いています。
 この石祠は旗本多賀家の取り立てを諌めつづけた義女たちの心情を後世に伝えるため、寺島村の女性二十三名が建立したと伝承されています。右側面の妙天・妙香は当山過去帳によると、多賀家使用人であり延宝九年三月十九日に経文多数を所持し死亡していたと記されています。

延宝九年は1681年なので1682年は誤りです。

f:id:nagatorowo2:20240313004348j:image宇賀弁財天塔(石祠型宇賀弁財天坐像塔)

刻銘「旹延寶九辛酉歳六月廿八日(1681)」f:id:nagatorowo2:20240313004351j:image御尊容(坐像、石祠型)


石祠はもう1基あります。f:id:nagatorowo2:20240313004307j:image熊野三社権現塔・念仏供養塔(石祠型念仏供養三社権現塔)


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刻銘「元禄二己巳年九月日(1689) / 念佛供養現世安穏後生善処 / 施主廿八人 / 熊野三社権現」

石祠型

法泉寺の所在地